ハロウィンの夜、巫女服プレイで女装に目覚めたT君――女装小説家・仙田学の『女のコより僕のほうが可愛いもんっ!!』
赤ちゃんプレイは女装に似ている。T君は気がついた。もうひとつの性を選び直す行為である女装に対して、赤ちゃんプレイは性別そのものを失おうとする行為であるという違いはある。だがどちらも、男性性から解放されたい、という同じ欲求に根ざしているのだ。
ところで「バブみ」という用語がある。ライトノベルやアニメの幼女キャラに母性を感じて甘えたくなる心性のことを、「バブみを感じる」、「バブみを感じてオギャる」、「これは俺を妊娠している」などと表現する、いわゆる「萌え」の概念のバリエーションだ。「萌え」を必要不可欠な要素とする、ライトノベルやそれをもとにしたアニメの約束事のひとつには、幼女の姿形をしたヒロインが何の根拠もなく主人公にぞっこんになる、つまり母親のように根拠もなくすべてを受け容れる、というものがある。幼女でありかつ母親、というその条件に照らせば、「バブみ」は「萌え」を極限まで先鋭化した概念だといえるだろう。
T君の例を一般化することはできないとしても、「バブみ」あるいは「萌え」と女装とのあいだには、何らかの関係が打ち立てられるだろう。「バブみ」や「萌え」がある種の女性キャラから引き起こされる幼児退行願望だとすれば、それを抱く男性たちには男性性から解放されたいという欲求があり、その点において女装と親和性がありそうだ。
幼女キャラに「バブみ」を感じている男性たちは、ある意味、女装男子予備軍であり、萌えの対象となる幼女キャラは彼らの理想の女装像なのかもしれない……私はそんな妄想に誘われる。
女装とは、T君にとって男性性から逃亡するための手段のひとつだった。逆にいえば、その逃亡を可能にするものが他にあるのなら、女装をする必要は差し迫ってはないのだ。
子どもの頃から運動が苦手で男らしくないことにT君は劣等感を抱いていた。その劣等感を逆手にとる図太さが身に着いたのは女装のおかげだ。握力が女の子よりも弱いので、先輩の男性社員におねだりしてジュースの蓋を開けてもらう。生ネギは苦手だから先輩の男性社員に上目遣いをして食べてもらう。あえて女の子的なポジションを選ぶことで、楽に社会になじむことができたという。
生きづらさを抱えている男性は、女装から処世術を学んでみてはどうだろう。
今年のハロウィンに、T君は久しぶりに女装をするつもりだという。
【仙田学】
京都府生まれ。都内在住。2002年、「早稲田文学新人賞」を受賞して作家デビュー。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(NMG文庫、オークラ出版)、出演映画に『鬼畜大宴会』(1997年)がある
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