更新日:2022年09月25日 10:50
カーライフ

女性はクルマで男を判断した…速いクルマ、カッコいいクルマに乗ってればモテた80年代クルマモテ論

 そんなカーライフの晴れ舞台は、スキードライブでした。
赤のサンタナ

赤のサンタナ

 愛車でスキー場に向かう。アクセル全開で! これぞ男の見せどころ! 『私をスキーに連れてって』の世界そのもの! つっても映画みたいにセリカGT‐FOURとか買えないので、タイヤチェーンを巻いて爆走するのですが、そこでチェーンを素早く装着できるかどうかも男の価値の一部だった。  私も事前に練習してスキーに備えましたよ! スキーの練習じゃないよ、チェーン装着の練習だよ! スタッドレスタイヤはまだ普及していませんでした。 スキー スキー 若者はより速いクルマを求め、時代はそれに応えた。80年代は、バブル景気に向かって国産車は目覚ましく速くなっていったのだ。  就職した私が初めて自分のカネで買ったのは、日産サンタナ。VWサンタナを日産が座間工場で生産した半外車だ。半分でも外車ってのはスゴイ威光だった。私は「これがドイツ車の直進安定性か!」と大感動しました。速度無制限のアウトバーンは、日本男児全員の憧れでしたので。
日産サンタナ

初めて運転した輸入車(父親の)日産サンタナ

 そして1989年。私は280馬力のフェアレディZを買って、80年代を締めくくった。最初のガゼールが115馬力。9年後に280馬力。日本経済がバブルに向かって盛り上がるのに比例して、日本のクルマ熱もまた史上最高値をつけたのだ!
日産フェアレディZ

日産フェアレディZと当時の彼女(今の奥さん)

 そんなバブル期に超高騰したクルマ。それがフェラーリでした。定価2500万円のテスタロッサが5000万円、定価4500万円のF40が2億6000万円で取引された。  当時、私の究極の憧れは身の程知らずにもフェラーリになっておりましたが、その後バブルが崩壊しましたので、4年後の1993年、中古車を買うことができました(現在の328GTSは通算11台目のフェラーリ)。  ガゼールからフェラーリへ。思えばそんな高度成長は二度となかろうて。ワッハッハ! 【清水草一】 モータージャーナリスト、高速道路研究家。1962年、東京都生まれ。慶応大学卒業後、出版社を経てフリーに。クルマ関連、道路関連の著作多数。大乗フェラーリ教教祖でもある。別名MJブロンディ 写真/池之平昌信
1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中
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80's青春男大百科

マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!

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