ハルク・ホーガン プロレス史上最大のスーパースター――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第48話>
同書の第9章“埠頭”に出てくるテリー・ファンクとの会話シーン――挫折しかかったホーガンをテリーが「キミは才能がある、あきらめるな」と説得してドロップアウトするのを踏みとどまらせたというエピソード――は一種のおとぎばなしだろう。
ホーガンに“ハルク・ホーガン”というリングネームをプレゼントしたのはビンスの父ビンス・マクマホン・シニアだった。
ホーガンは若手ヒールとしてWWEを約1年半(1979年12月-1981年5月)サーキット後、WWEのブッキングで新日本プロレスと契約。
年間15週間から20週間のスケジュールで日本に長期滞在し、アメリカ国内ではAWAに拠点を移した(1981年8月-1983年12月)。
新日本プロレスでアントニオ猪木のタッグ・パートナーとして過ごした時間、その猪木を“舌出し失神KO”で破り『第1回IWGPリーグ戦』に優勝した試合(1983年=昭和58年6月2日。東京・蔵前国技館)、そしてAWAでのニック・ボックウィンクルとのドル箱カードは、“1984体制”からはじまる“ハルカマニア現象”のプロローグになっていた。
まだ20代だったホーガンは全盛期の猪木のオーラをすぐそばで観察しながら“国民的ヒーロー”のなんたるかを学び、ニックとのタイトルマッチでは愛されるベビーフェースのエッセンスを身につけた。
1980年代のホーガンとビンスは、ともに発展途上人だった。
ホーガンがTVインタビューのキメの台詞にしていた「ハルカマニアが大暴れHulkamania is running wild」というフレーズは“レッスルマニアWrestlemania”というイベント名を生み、その“レッスルマニア”がホーガンをアメリカでいちばん有名なスポーツ・セレブリティーに変身させた。
ビンス=WWEがホーガンを育て、ホーガンがWWE=プロレスを巨大なイメージ産業に変えた。
1980年代後半から1990年代にかけてはプロレスのスーパースターからアクション俳優への道を歩み、『ゴールデン・ボンバー』『マイホーム・コマンドー』『ミスター・ネニー』『シークレット・エージェント・クラブ』『サンタ・ウィズ・マッスル』など劇場公開映画、テレビ映画20数作品に主演した。
ホーガンの最大の敵は、リング上で大暴れする悪役レスラーたちではなくて、だれにも止めることのできない時間という自然の力だった。
ビンスは40歳になろうとしていたホーガンに主役を降板するときが来たことを伝え、ホーガンはこれを拒否した。
ホーガンは“ハルク・ホーガン”を不死身のスーパーヒーローととらえ、ビンスは「WWEはホーガンと心中できない」と答えた。
ホーガンは“ハルク・ホーガン”のこれからを考え、ビンスはWWEの近未来を選択した。ふたりは握手をして別れた。
WCWは、ホーガンにとっては居心地のいい場所だった。親会社のターナー・グループはホーガンを“ブランド品”として大切にしたし、年俸もWWE在籍時代よりはるかによかった。
プロレス事業部の現場責任者をつとめたエリック・ビショフEric Bischoff副社長はまるでビンスの“小型クローン”で、ホーガンとしてはひじょうに仕事がしやすかった。
ホーガンがまさかのヒールに変身しての“nWoドラマ”がヒット商品となり、WCWとWWEの人気が逆転したこともあった。
しかし、契約選手100人超、フロントスタッフ100人を抱え、テレビ番組“マンデー・ナイトロ”の制作費に毎週20万ドル(約2200万円)を支出していたWCWは、2000年には年間計上損失額7000万ドル(約77億円)の“赤字部門”となっていた。
親会社ターナー・グループとそのまた親会社AOLタイムワーナー社は“プロレス事業部”の活動休止を決定。WWEがWCWを買収し(2001年3月23日付)、WCWは12年の短い歴史にピリオドを打った。
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