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ゾンビに間違えられる経験は、平成でもう終わりにしたい――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第37話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第37話】哲学的ゾンビ  キミはゾンビに間違えられたことがあるか。僕はある。  それもかなりガチな感じで、本当に冗談でもなんでもなく、心の底からゾンビに間違われたことがある。  いやいや、「ゾンビに間違えられた」というと、「なにをそんなバカな」と思うかもしれません。それどころか「わけわからないこと言ってるな」「何かの比喩?」という感想を抱くかもしれません。総合的に考えると「ありえないだろ」という感想に行きつくと思います。  では、なぜそういう感想に至るのか、それは「ゾンビ」というものがこの世に存在しないからです。  いうまでもなく、ゾンビとは何らかの力によって死体のまま蘇った人間を総称します。場合によっては皮膚とかドロドロになってですね、両腕を前に突き出して「ヴー」とか歩いてくる、それがゾンビです。こういった存在は映画やゲームの中には多数登場しますが、残念ながら現実世界でその存在が確認されたことはありません。  そのような実在しない存在に間違われた、なんていうと頭が狂ったことかと思われるかもしれません。それこそ、ユニコーンに間違われた、ドラゴンに間違われた、イエティに間違われた、と言っていることとそう代わりがないですからね。そんなこと言っていたら本格的に頭がおかしいでしょう。  間違える方だって存在しないってわかり切っているのに本気で間違える、そんなシチュエーションは普通に考えてありえません。  けれども、それをもって「ゾンビと間違われたなんて狂ったこといってやがる!」と一刀両断するのはいかがなものでしょうか。それこそ思考停止も甚だしく、外見だけは人間で中身は思考のないゾンビのような存在と言えるのかもしれません。  きっぱりと断言します。この世に存在しない「ゾンビ」ですが、時と場所、条件さえ揃えば、その架空の存在に本気で間違われるのです。今日はそんなお話です。  あれは暑い夏の日でした。友人がめちゃくちゃ面白いキャンプがあると誘ってきたので、まあ、そこまで言うならと、とあるキャンプに参加したのです。連れていかれた先は携帯電話の電波もロクに入らないような、完全無欠の山の中でした。
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ゾンビイベントを終えて、一息つくはずだったが……
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