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いざというとき、男は女を守らねばならぬ。何が悪い?/倉山満

 いざというとき、男は女を守らねばならぬ。この意味で私は差別主義者である。何が悪い?  長すぎた安倍晋三内閣の8年間で、左翼界隈の鬱憤がたまっているようだ。しかし、左翼とて一枚岩でない。特に、フェミニストはここぞとばかりに猛威を振るう。先日も、森喜朗元首相が“女性蔑視発言”で五輪組織委員会会長を降ろされた。  注目を引くのが、高名な日本中世史学者の呉座勇一氏が大河ドラマの時代考証を降ろされた件だ。理由は、呉座氏が非公開のツイッターでフェミニズム批評で有名な北村紗衣氏らを誹謗中傷したとのことだ。呉座氏も女性差別を認めて謝罪している。正確にはどんなことを言っていたのか、一部しか残っておらず発言が片っ端から削除されているので何とも言えないが、どういうことなのだろう。確かに、呉座氏の発言は誹謗中傷であり女性差別なのだろう。それを踏まえて、あえて言う。  だから何?  呉座氏が責められるとしたら、ただ一点。男が女を殴ったことだ。ただし、物理的に殴ったわけではあるまい。“言論”で殴っただけだ。私は、いかなる理由があっても、男が女を殴ってはならないを原則とする、差別主義者だ。この意味で私は一切の男女平等を認めない。ただし例外はある。一つは言論による攻撃であること。もう一つは、言論によって殴った相手が、言論人であることだ。この場合の言論人とは、プロアマ問わない。ツイッターなどで「素人に手を出すな」などと謎の言い訳がまかり通っているが、何のことかわからない。  社会に向かって言論を訴える者の、最も重大な掟は二つ。一つ。すべての人間に言論の自由はある。二つ。あらゆる人間に反論されない特権はない。平たく言うと、他人を殴ったら殴り返される覚悟をしろ、だ。
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言論で殴ったら、殴り返される。殴られたなら、言論で殴り返す
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