更新日:2021年12月13日 08:16
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ジャーナリスト安田純平が語る「アフガン撤退に見る日本の“棄民体質”」

地下資源を狙いアフガニスタンに入ってきた中国

カブール市内の河原で液体化したヘロインを腕に打つアフガニスタン人の若者

カブール市内の河原で液体化したヘロインを腕に打つアフガニスタン人の若者。20年前のタリバン政権はイスラム教に反するアヘン栽培を禁じており、復権後も禁止を宣言していることからアヘン価格が高騰している=2010年12月、カブール

西牟田:2010年はどんな感じだったんですか? 安田:カブールのほか大仏で有名なバーミヤン、そしてアイナック銅山というところに行きました。8年ぶりのカブールはかなり復興していて、都会の街になっていました。中国人がけっこう住み着いていて、中華料理屋が何軒もありました。 西牟田:僕が行った1998年だったら考えられません、そんなこと。2010年といえば、米軍兵士の派兵がピークの10万人超を迎えた年で、亡くなった米兵は499人と、最大の死者を出した年。そんな危険な時によくアフガニスタンに行きましたね。何の目的で出かけたんですか? 安田:アイナックは世界最大の埋蔵量をほこる銅山で、2008年に中国が30億ドルで落札した場所なんです。そこに向かいました。 西牟田:確か当時は、タリバンは相当に盛り返していて、国の6~7割がタリバン支配でしたよね。ちなみに、その鉱山はどちら側の土地だったんですか? 安田:当時のカルザイ大統領はカブール市長のカルザイと揶揄されるぐらい、支配地域は少なかったですからね。タリバン側と政権側、双方のガードマンを車に帯同させました。

中国からの壮大な鉄道計画

西牟田:実際、どんな場所だったんですか? 安田:カブールに配電する発電所や労働者のための町、さらに、中国からウズベキスタンなどを経由して銅山へと鉄道を敷く計画がありました。銅山の敷地には入れましたが、機材は全て預けさせられて撮影はできず、取材自体断られましたけどね。中の作業員はすべて中国人だったようです。 西牟田:中国人はアフガニスタンでも現地人ではなく自国民を働かせるんですね。それにしても、中国の西端から西へ鉄道をつなぐなんて、後の「一帯一路政策」の先駆けですね! 安田:中国からアフガニスタンの銅山を経由した鉄道は、東へ抜けてパキスタンの鉄道に接続される計画で、いずれインド洋の港まで繋がるとのことでした。そうすると、中国は中東やアフリカの資源をパキスタンから陸路で運べるようになる。  当時は親米政権だったけれども、国内の6~7割が実質タリバン支配。中国は当然、タリバン側にもコンタクトして、どちらの政権になったとしても鉱山の利権が失われないよう、双方と関係を築いていたんでしょうね。
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アメリカは撤退し、中国はタリバンと手を結ぶ
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中国の「爆速」成長を歩く

1990年代初頭からの、中国の急激な成長の実像をたどる

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