更新日:2021年12月13日 08:16
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ジャーナリスト安田純平が語る「アフガン撤退に見る日本の“棄民体質”」

日本政府は現地人の退避・保護の必要性を認めてこなかった

アフガニスタンの街角西牟田:でもリプには好意的なコメントがたくさんありました。「しっかりやった、実はよくやっていた」とか。そんなリプがたくさん寄せられていました。これはしっかりやったと言えるんでしょうか?  安田:電話しただけで「よくやった」と思う人たちにとってはそうなのでしょう。しかし、他国の人はかなりカブールに残っていたし、大使館員が慌てて撤退しなければならない状況ではなかったと思います。これで、大使館員にほんの少しでも危険の可能性があれば邦人保護よりも撤退を優勢するということが、多くの皆さんにもよく分かったのでは。 西牟田:せめて韓国みたいに大使館員がすぐに戻って空港までのバスの手配をやっていたら、韓国より1日遅かったとしても、現地協力者なども含めて500人ほどの出国が可能だったのでは? 安田:日本国内では入管での外国人の扱いの酷さが問題になっていたり、難民の受け入れの数が年間50人ほどだったりと、難民受け入れに対してすごく冷たいですよね。日本政府は現地の協力者を退避させて保護する必要性をずっと認めてこなかったんですよ。  アフガニスタンでも他国が退避させ始めても無関心で、8月になって慌てて検討した。さらに現地人の退避・保護に対する抵抗もあって判断が遅れた、ということだと思います。

満州国崩壊の時から一貫する“棄民体質”

西牟田:自衛隊機の派遣の時期についてはどうでしょうか? 安田:報道では外務省関係者が「自衛隊は最後の手段という意識が高すぎて遅れた」などと言っていますが、そもそももっと早く他の手段を取れたという話です。フランスなどは5月から退避させてたらしいですからね。同様に早くに手を打っておけば、チャーター機を派遣することだってできた。そうすれば自衛隊機にこだわる必要もなかった。  日本は、独自の分析・判断のもとに独自の行動をするということはできません。特に米国との関係がありますから。自衛隊の救出作戦も各国が自国民を救出するために、飛行機を派遣するということが決まったから、足並みをそろえただけのことですよ。 西牟田:かつて満州国が崩壊した時に、役人や軍人がいち早く逃げたことを連想しました。 安田:そう、だから一貫して“棄民体質”なんですよ。満州国に捨てられた人もそう。戦前戦後の中南米の移民もそう。何のケアもない。「自己責任論」なんてまさに“棄民の論理”ですから。  そもそも、日本は脱出を急ぐ必要があったのでしょうか。2002年にはアフガニスタン復興会議を開いた実績があるし、インド洋で給油活動はしていましたが各国のように軍隊を現地に派遣していません。それに日本は世界第2位の資金援助をしてきましたし、「ペシャワール会」の中村哲さんの支援活動も知られている。急ぐことはなかったのかもしれません。中国人は今も残っているし、大使館も残っています。もっとやれるはずなのにやらないのはもったいないと思います。
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シリアで拘束され「自己責任論」の渦中に
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