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「ギスギスしていたけど勝っていた」落合博満監督が築いたドラゴンズ黄金期の裏側を番記者が語った

ファースト落合は監督落合でもあった

 評論家活動をしていた落合氏は、監督をやるまでコーチなど指導者としての実績はありませんでした。そんな人物を監督にさせたことは、当時の中日にとって大英断だったようにも思えます。 鈴木「当時のオーナーである白井(文吾)さんが、落合さんのどこを見てそういう決断をしたのかは興味深いですね。  ある野球界のOBの方に言わせると『ファーストを始めたあたりから“監督っぽかった”と言うんですよ。試合中によくマウンドに行って、投手に声かけていたらしいんですけど、その時に言うことが監督のようだったと。  この展開でこの点差で打者誰々だろ、こうすればいいんじゃないかって言って一塁に戻る。一緒にプレイした人たちの中には『後から考えると落合が言ってたことは当たってた』と言う人が何人かいました。  選手としてだけじゃなく、落合さんはずっと野球というものを俯瞰して見ていたんだろうなって思いますね」

GM落合博満はなぜ失敗したのか

 そんな落合氏も監督としては輝かしい成功を収めましたが、GM職として中日に戻ってからは成功したとは思えない成績です。 鈴木「個人的には、落合さんの職人的なところに面白みを感じていました。結局GMって経営者的な立場じゃないですか。もちろん落合さんも監督としてそういう能力は示されていたと思うんですけど、私は、GMという立場ではなく、より野球というゲームに近い立場のほうが絶対的に面白いのになあと感じていました」  ファンは現場で采配を振るう職人気質の落合博満に惚れたのかも知れませんね。それゆえに落合監督待望論は今でも根強くあります。 鈴木「こういう本は、どうしても今の中日との比較と受け止められてしまいます。それは自然だと思いますが、そうなると落合さんの面白さが半減するような気がしています。  落合さんも自分が正解だと思ってない。今が正解だ不正解だとかじゃなくて、こういうやり方があるんだっていうふうに楽しんだほうが、より面白いんじゃないかと思う」
落合解任

落合GMの不評や退任を伝えるスポーツ新聞

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立浪ドラゴンズはどうなるか?
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日刊SPA!編集。SPA!本誌では谷繁元信氏が中日ドラゴンズ監督時代に連載した『俺の職場に天才はいらない』、サッカー小野伸二氏の連載『小野伸二40歳「好きなことで生きてきた~信念のつくり方~』、大谷翔平選手初の書籍となった『大谷翔平二刀流 その軌跡と挑戦』など数多くのスポーツ選手の取材や記事を担当。他にもグルメ、公営競技の記事を取材、担当している

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