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常に不安定な「皇位継承の伝統」をいかに守るか/倉山満

第33代推古天皇は新儀ではない

 素人議論だと、「第33代推古天皇は最初の女帝ではないか」と言いたくなるだろう。しかし、第14代仲哀天皇の后であった神功皇后は、長らく最初の女帝だったと思われていた。あるいは、摂政として実権を握ったとも考えられた。「天皇」「皇后」「摂政」という言葉が無かった古い時代の話だが、夫の死後も第15代応神天皇の即位まで権力を握ったと記録される。「神功天皇」が歴代代数から正式に外されたのは、大正末年だ。いずれにせよ、古代日本人が神功皇后の先例を知らないはずがなく、推古天皇は新儀ではない。  奈良時代は先例やぶりが横行した時代で、第45代聖武天皇の先例やぶりを諫止した長屋王が殺されてからは止まるところが無く、成れの果てが道鏡事件で、あやうく皇室が滅びるところだった。

本当に「秋篠宮家に皇位を渡すな」と言ったのか

 平安後期に始まる院政では、治天の君はこの世の支配者として振舞った。歴代上皇の横暴は歴史の記すところで、朝廷は権力を武家に奪われる羽目となった。あげく、承久の乱で陪臣(家来の家来)の北条義時に後鳥羽上皇は「主上御謀反」として、島流しにされた。  遠く異朝をとぶらへば、カンボジアのシアヌーク国王が「王制はやめた。共和制にする」と宣言、実行した後に、ポルポトの悲劇が起きた。  我が国にも多くの危機があった。時に天皇や治天の君の過ちにより皇室が危なくなった。だから、天皇でも守らねばならぬ掟があるのだ。  ところで、どの陛下か知らぬが、本当に「秋篠宮家に皇位を渡すな」と言ったのか?
言論ストロングスタイル

『決定版 皇室論 日本の歴史を守る方法』(ワニブックス)

1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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