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ヤンキー生徒を半殺し寸前に!体罰の思い出を語る

学校教育の根幹を規定する学校教育法では、終戦後まもない’47年4月施行の段階ですでに体罰を禁止している。しかし、この規定とは裏腹に、’90年代までの学び舎では、教師の鉄拳制裁が当たり前のようにまかり通っていたことを、30代以上の読者は皆覚えているだろう。今回はそんな体罰世代であるオーバー30の方に集まっていただき、体罰の思い出について語ってもらった。 ◆僕たち殴られて大人になりました!青春の体罰回顧録 <座談会・後編> ⇒【前編】「高校野球はビンタが日常」元生徒が語る体罰の思い出
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――部活ではなく日常の体罰となると、上村さんはかなり体験してそうですね。 上村:自分はヤンキーだったので先生にはよく殴られましたね。でも、実の親よりも親身だったりもするんです。僕が警察に補導されたときなんか、親よりも先に先生が来てましたから。 ――グレートティーチャー鬼塚か金八先生みたいに熱いですね。 最凶教師上村:少年課の取調室のドアが開いたら先生がいるから「あれ? 先生なんで……」って思う間もなく鉄拳が飛んできました。もう、殺す勢いですよ(苦笑)。それを見た警官が『先生、先生、もう死ぬっちゃ! やめんね! 先生逮捕することになるわ!』と叫んで3人がかりで制止するまで僕をぶん殴るんですよ。もう、どっちが捕まったヤツかわかんない(苦笑)。 江藤:これは明らかに体罰になるんだろうけど、愛はあるよね。 ――江藤さんが受けた体罰には愛はありましたか。 江藤:例の暴力監督が赴任する前は、上級生が下級生を殴る風習があったんですよ。それが、新監督になって最初の挨拶で「野球部内での暴力は禁止する!」って言われて、ヤッター!って思ったら続けて「お前らを殴るのは俺だけだ!」と宣言されて。えーっ!?って思ったのと同時に、胸が熱くなるような高揚感がありました。 野田:それ、DVのダンナと別れられないバカ女みたい。暴力はどう取り繕っても暴力ですよ。 ――野田さんは体罰に対してずいぶんと否定的ですね。ご自身も体罰の経験があるから嫌いだと。 最凶教師野田:私は鉄拳とかビンタとかされたことは一度もないけど、キスはされましたね(苦笑)。中学校では、50代の女教師が叱るときにガッチリとハグしてキス。キスという名の制裁を加えていましたよ。すっごく恐れられていましたね。あれは本当に嫌だった。私のファーストキスを返してほしい! おまけに褒めるときもキスするんですよ。ああいう教師の権力を振りかざす人は大嫌いです。 上村:そうおっしゃいますけど、不良のガキなんて少しは痛い思いをしないとわからないっていうのも事実じゃないですか。 江藤:うんうん。真理だと思うよ。言葉で言ってわからないから体でわからせるって。でも、腹を割ってわかりあえていないと、ただの体罰になるんだよね。 上村:僕が煙草を吸いながら登校したときのことですけど、担任の女教師は「なんで煙草吸いよるとね? 未成年は煙草吸いよっちゃダメでしょ」と。そうするとこっちは「うるせぇ! 先生には関係なか」ってずっと押し問答をしてたんです。そこにさっきも話した生活指導の教師が来たんですが、一言も発せずいきなり頭突きを一発(笑)。煙草は大人になるまで吸っちゃダメって思いましたもん。 江藤:スカッとしてていいねえ! 上村:ただ、このご時世でしょ。あの先生、まだ教師を続けていられるか……それが心配です。 【上村博士氏】 ’83年生まれ。九州地方出身。中学時代にドロップアウト。卒業後上京してパチプロ生活。その後パチンコ雑誌編集者として堅気の道へ 【江藤淳也氏】 ’74年生まれ。東海地方の高校で硬式野球部のキャプテンを務め、大学でも野球部。現在は電機メーカーに勤務する 【野田ちさとさん】 ’78年生まれ。中国地方の野球強豪校を卒業後、関西地方に進学。その後、雑誌編集者などを経て現在は飲食チェーンに勤務 イラスト/石井匡人 ― 本当にいた[最凶教師]列伝【10】 ―
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