一番伝えたかったのは死…アルピニスト野口健“もうひとつの顔”
最近では、世界文化遺産登録が決定した富士山について熱っぽく語る姿を、テレビの情報バラエティ番組などで目にする機会も増えたが、アルピニスト・野口健は実にさまざまな顔を持っている――。
世界最年少の25歳(当時)で世界七大陸最高峰「セブン・サミッツ」を制し、エベレストや富士山の清掃登山など環境問題への熱心な取り組みでも知られる野口は、まさに世界を代表する登山家の一人だが、日本軍戦没者の遺骨収集や尖閣諸島の固有種保護にも熱心に取り組んでいることを知る人は少ないのではないか。
そんな彼の「新たな顔」に触れることができる写真集が話題となっている。7月にリリースされた『野口健が見た世界 INTO the WORLD』(集英社インターナショナル)は、そこそこ名の売れた“放浪写真家”が寄せ集めで作ったありていの山岳写真集とは一線を画し、受け止めがたいほどの強いメッセージが溢れているのだ。
気候変動でエベレストの氷河が溶融し大洪水に巻き込まれ全滅した村落、反政府ゲリラに誘拐され親を殺せと強要されたウガンダの少年兵たち、日本のために戦死し今も内外地に野ざらしになったままの115万の屍……。一枚一枚の写真には、鈍色の厚い雲に覆われたような不穏な空気が漂い、じっと眺めていると、妙にコントラストの強い宗教画のようにも見えてくるから不思議だ。
実際に写真をセレクトした野口が言う。
「今回の写真集で一番伝えたかったのは『死』です……。海外に行けば、死は身近にあるものだし、ダイレクトに伝わるもの。ところが、日本では死を扱った記事や文章は許されるが、写真に写し込むことは控えられている。旧知の新聞記者の方から聞いた話なのですが、’85年の日航ジャンボ機墜落事故を報じる際、ご遺体の一部が写されていた写真を新聞に掲載したことで、当時、批判的な意見が多く寄せられたそうです。これを契機に報道機関は自粛し、ジャーナリズムの視点であっても、死そのものはあからさまに隠されることになったという話ですが、私自身は、死を特別なものではなく身近なものだと思っているんです。だから、今回の写真集にも敢えて何枚か死を写した写真を掲載することにしたのですが、ストーリーというか、流れのなかで、いかに死を見せていくかにかなり神経を使いました……」
写真集のなかには、自らにレンズを向けたカットもある。不運にもヒマラヤで大雪崩に巻き込まれ、死と隣り合わせとなった野口が、もがき苦しみながら、やっとの思いで雪上に顔を出したまさに九死に一生を得た瞬間を、自分自身で撮影したものだ。生と死の狭間をさまよった挙げ句、ひょっこり地上に顔を出した野口の赤く腫れ上がった顔は、生を与えられたばかりの赤子のようにも映っているのも印象的と言えよう。
「あのときは本気で『終わったな……』と思いました。雪崩に巻き込まれると、雪のなかで上も下もわからなくなる。必死に這い上がって、何とか雪の上に出た瞬間を自分で撮った写真です。雪崩の爆風で、左腕がおかしな方向に曲がっていますが(苦笑)」
野口の手による「生」の写真と「死」の写真――これらに共通するのは、身ひとつで最前線に乗り込まなければ決して拝めないという点だ。これは先にも記したが、野口が、清掃登山のためにエベレストや富士山の登山を繰り返し、日本軍の遺骨収集のために沖縄やフィリピンの島々に足繁く通う「現場の人」だからだろう。
「ヒマラヤの氷河湖決壊で起きた水災害の犠牲者の写真は、載せるかどうかで『やりすぎなのでは?』という意見もありました。氷河湖は地球温暖化(もしくは気候変動)の影響で大きくなったものですが、こうした問題を伝えていくのが非常に難しい……。というのも、G8洞爺湖サミットなどでせっかく問題意識が盛り上がりかけても、終わると一気にトーンダウンしちゃうんです。国際会議やシンポジウムに参加すると、学者はデータを提示して話しますが、リアルじゃないんですよ。生々しさが伝わらない。震災の被災地にしても、僕は犠牲になった方々の姿を見せるべきだと、個人的には思います。もちろん、見せ方を十分配慮した上の話ですが。日本は自然災害の多い国だけど、人間が持つ危機感はそう長くは続かない……。みんなが現場に行けるわけではないし、ならば現場で起きた悲劇を言葉ではなく視覚的に伝えることで、危機感を抱き続けることができればと思うんです」
物事にはA面とB面がある――と野口は言う。先頃、世界文化遺産に登録された富士山は、遠くから眺めれば美しい霊峰だが、近くで見るとゴミが散乱するなどまだまだ多くの問題を抱えたまま。つまり、物事には必ず「影」の部分があるのだ。野口氏の写真集では、アフリカの人々の笑顔やサバンナの野生動物など、躍動する「生」を感じさせる写真に混じり、彼がテーマに据えた「死」の写真が目を惹く。
「死は怖いものだし、ただ、誰にも訪れるものなのも確か。よくよく考えてみると、寿命っていい具合にできてて、その先に死があるから、生きているなかで何ができるのかと人はイメージする。寿命が300年だったら、ちょっと困っちゃう(笑)。身近な死を感じて、そのなかから命の切なさや時間の大事さを感じてもらえたらいいですね……」
ゴミ拾い、尖閣、遺骨収集、カメラマン……。テレビではお目にかかれない、いくつもの顔を持つ野口健の新たな一面に期待したい。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
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『野口健が見た世界 INTO the WORLD』 「生」の裏側には、必ず「死」が潜んでいる。アルピニストが撮影したヒマラヤ、アフリカ、日本。
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