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講談社ノンフィクション賞受賞の清武・元巨人軍代表 「私は負けない」

「社員は悪くありませんからッ!」  おびただしいフラッシュの放列を前に、目を真っ赤にして号泣する社長――。1997年、「4大証券」の一角をなし、創業100年の歴史を誇った山一證券の自主廃業劇は、社会に計り知れない衝撃をもたらした。  破綻の原因は、2600億円に及ぶ巨額の債務隠し。バブルを謳歌した証券業界では、幹部は法令違反を顧みず拝金主義に傾き、手段を選ばず営業成績を勝ち取った社員のみがエリートの階段を駆け上った。だが、90年代後半、金融システム不安が起こると、それまで澱のようにたまった膿が一気に噴出する。その象徴が山一だった。  だが山一には、同僚たちが好待遇で次々と転職していくのを尻目に、巨額債務隠しの真相究明のため、消滅する会社に最後まで踏みとどまる“しんがり(後軍)”を買って出る者たちがいた。  社内調査委員会の7人とこれを支援した5人の男女は、隠蔽工作に走る幹部の圧力をもろともせず、ついには会社の不正を白日の下に晒し、真相解明を望む世論に応える……そんな不条理に屈しない“しんがり”たちの熱い軌跡を、緻密な取材でまとめあげたルポルタージュ『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社刊)が、7月24日、第36回講談社ノンフィクション賞に選ばれた。  著者は、清武英利・元読売巨人軍球団代表。2011年11月、読売新聞グループの首領、渡邉恒雄会長を向こうに回し、いわゆる「清武の乱」を引き起こした人物だ。現在、ジャーナリストとしても活動する清武氏が話す。 「渡邉恒雄会長のコーチ人事への不当な介入に抗議した結果、私は解任されたわけですが、あのときも今も自分のやったことは正しいと信じている。間違っているものは間違っている……意志を貫き通したので後悔などしていませんが、世の中を見渡すと同じような人が少なくないと改めて感じたのが、この本を書こうと思ったきっかけです」
しんがり 山一證券 最後の12人

「しんがり 山一證券 最後の12人」(写真/日刊SPA!)

 球団代表という要職まで上りつめながらも、渡邉氏による会社の私物化を看過できず、謀反を起こし、結果、会社を追われることとなった清武氏。一方、『しんがり』の主人公である山一の業務監理本部・通称“ギョウカン”の面々は、組織の暴走を監視する役目を課せられていたが、会社の中心で花形の事業法人本部はアンタッチャブルな部署だった……。“ギョウカン”のメンバーは「無能」「変わり者」の烙印を押され、社内では“場末”と揶揄されていたが、会社の最末期に正義を貫いたのは彼らだったのだ。 「彼らのうち一部の人については、読売新聞の記者として山一の自主廃業の真相を取材したときに知っていました。ただ、当時の取材が『なぜ破綻したのか』に焦点を当てたのに対して、本作のテーマは『人は組織のなかでどう生きるのか』。会社廃業時には夢中で戦った彼らだけど、その後は辛い人生を送っているのでは?……彼らのその後が気になっていたので、そのうちの代表者に会ってみたんです」(清武氏)  社内調査の3か月間、“しんがり”の一部は無収入を強いられ、将来の備えのために社員持株制度で取得した幾ばくかの山一證券株は紙クズと化した。「なくなる会社の悪事を暴いて何になる!」と罵声も浴びせられた。経済の物差しや世間一般的な尺度では、彼らは“不遇”に違いなかった。  ところが、清武氏は久しぶりの再会で思いもよらない声を聞くことになる。 「“しんがり”の全員が『自分のやったことに満足している』『貧乏クジを引かされたとは思わない』って言うんですよ。それどころか、爽やかな印象さえ放っていて、なぜ? と軽いショックを受けたのを憶えています。会社の最期に立ち会い、幹部の不正を暴く……彼らは自分たちの意思を貫いたわけですが、会社がなくなることは決まっていた。一見できそうで、実はなかなかできないことです。債務隠しの真相究明にしても、通り一遍の調査で済ませておくこともできたのに、不正の詳細と関与した幹部の実名まで克明に記載している。人生の後半にあって、自らが納得いくまでやる……立派だと思ったし、改めて私もそう生きようと思いましたね」(清武氏)  掘り出した証拠を繋ぎ合わせ、不正に関与した幹部社員から証言を引き出し、巨額債務隠しの全貌が白日の下に明かされていく展開は、事実だけに小説や映画を凌ぐ迫力だ。それはあたかも、真相を追求する“しんがり”の想いが、新聞記者として事実を追い続け、現在も組織の不条理と闘う清武氏のペンに乗り移ったかのようだ。 「“しんがり”の人たちも僕も、互いの姿を重ね合わせているところがある。ただ、どんな会社や組織にも理不尽なところはあるし、ナベツネさんのような独裁者もいるでしょう。まぁ、あれほどヒドくはないだろうけど(苦笑)。当時の山一證券にも独裁者がいて、不正が罷り通るのを歯ぎしりして見ていた人たちが、会社の最期を前にして“しんがり”を買って出て、正しいことは正しいと敗戦処理に当たった。私も、相手が巨大な権力を持つナベツネさんだったとしても、間違っているものは間違っていると意志を変えなかった……。彼に反旗を翻せば、ご存じのように徹底的に攻撃されます。見せしめということなのでしょう。でも、誰かが声を上げなければ、何も変わらないじゃないですか」(清武氏)  驚くべきか、当然と言うべきか、“しんがり”のなかには山一證券解散後も声を上げ続けている者もいるという。 「再就職した会社でも不正を追求して干された人もいますよ。世間一般から見れば『まだ、やってるの?』と呆れる人もいるでしょうけれど、私は負けられないなと思ってます。“しんがり”の12人と私は、そんな『まだ、やってる』人を見て、同じ気持ちで戦いたいと考える……いわば同志のような存在なんです」(清武氏)  清武氏は現在、読売新聞グループとの裁判を5件以上も抱えている。彼の闘いもまた、まだまだ終わらないのだ。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
しんがり 山一證券 最後の12人

「俺たちで決着をつけよう」会社の消滅時に、最後まで意地を貫いた社員の物語

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