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“モントリオール事件”の真相=ビンスとブレットの会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第271回(1997年編)

 “モントリオール事件”の遠因となるエピソードは、それよりさらに1年1カ月まえの1996年10月20日にさかのぼる。この日、ビンス・マクマホンとブレットはカリフォルニア州サンノゼのホテルで契約更改のための非公式のミーティングを持った。ここでブレットはライバル団体WCWから移籍のオファーを持ちかけられていることをビンスに打ち明けた。  WCWが提示していた契約内容は年俸300万ドル&複数インセンティブ契約(年間拘束日数最大150日)というもので、ブレットの携帯電話に直接連絡を入れてきたのはエリック・ビショフWCW副社長とケビン・ナッシュだった。  ビンスは、WCWの引き抜き工作に対するカウンター・オファーとしてブレットに年俸150万ドル(約1億5000万円=当時)の20年契約を提示。ブレットは翌11月、ブレット自身が代表取締役をつとめる法人ヒットマン・プロダクション名義でWWEとの専属契約書にサインをした。  この“20年契約”はそれまでのレスリング・ビジネスの常識では考えられないような長期契約で、WWEでも前例のないことではあったが、“20年”という数字はWWEがブレットとその家族を“終身雇用”するという一種の約束手形になっていた。この時点ではマクマホン家とハート家は親せきのような関係だった。  ニューヨーク株式市場の上場企業で、年商約4億7500万ドル(約427億6500万円)、年間純益約5000万ドル(約45億円)というエイト・フィギュア(8ケタ以上の数字)を毎年のようにはじき出すようになる2000年代以降のWWEと比較するとちょっと信じられないようなおはなしではあるが、1996年から1997年にかけてのWWEの年商は約8186万3000ドル(約73億6768万円)で、収益面では約650万ドル(約5億8500万円)の赤字を抱えていた。
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90年代には主力グループがWWEからWCWへ電撃移籍
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