“モントリオール事件”の真相=ビンスとブレットの会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第271回(1997年編)
80年代のWWEの主役だったハルク・ホーガンが1994年6月、“マッチョマン”ランディ・サベージが同年12月、それぞれWCWに移籍。1995年9月、WCWの新番組“マンデー・ナイトロ”が放映開始となり、翌1996年にはナッシュ(前名ディーゼル)、スコット・ホール(同レーザー・ラモン)、ショーン・ウォルトマン(同123・キッド)ら主力グループがWWEからWCWへ電撃移籍した。
“月曜TVウォーズ”といわれた“マンデー・ナイト・ロウ”(1997年3月から“ロウ・イズ・ウォー”と改題)と“マンデー・ナイトロ”の視聴率争いは、1996年6月10日オンエア分から1年以上にわたり“ナイトロ”が“ロウ”をリード。ホーガンとその仲間たちが結成したヒール派閥nWoがブームを巻き起こしていた。
ビンスがブレットに“20年契約”をオファーした1996年10月以降、WWE世界王座はショーン―サイコ・セッド(同年11月17日)―ショーン(1997年1月17日)―ブレット(ショーンがケガを理由に王座返上―王座決定戦=1997年2月16日)―セッド(同年2月17日)―アンダーテイカー(同年3月23日)―ブレット(同年8月3日)と小刻みな移動をくり返した。
そして、ビンスは1997年9月、ブレットに対し大幅なギャラダウンと契約内容の一部変更を求めた。ブレットはこの唐突な申し出を“保留”にした。なにかが狂いはじめていた。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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斎藤文彦
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