“レッスルマニア14”にアメリカが揺れた日――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第283回(1998年編)
古典的なベビーフェース(正統派)とヒール(悪役)の対立概念にはヒビ割れが生じていた。WWEはそれを“アテテュード路線”と命名し、新しい層の観客の開拓を急いだ。
“ストーンコールド”スティーブ・オースチンはいわゆるグッド・ガイでもバッド・ガイでもなく、毎週月曜の夜“ロウ・イズ・ウォー”に出てくる、強くて、悪くて、トークが達者なタフエスト・サナバビッチ。ショーン・マイケルズとその仲間たちDX(ディジェネレーションX)はMTV世代の都会派の悪ガキ集団という設定だった。
そして、“レッスルマニア14”にはプロボクシング元世界統一ヘビー級王者マイク・タイソンというひじょうにやっかいなワイルドカードがまぎれ込んでいた。前年(1997年)6月のイベンダー・ホリフィールド戦での“噛みつき事件”でボクシング界から追放されかかってたタイソンは、脱税スキャンダルと女性暴行事件とそのほか何件かの裁判のぬかるみのなかでWWEに泳ぎついた。
“レッスルマニア14”とタイソンのビジネス的な“足し算”を思いついたのはWWEオーナーのビンス・マクマホンであることはいうまでもないが、プロレス空間への一種の逃避(あるいは救済)を希望したのは、じつはタイソンのほうだった。
アメリカのマスメディアはタイソンの“レッスルマニア14”へのゲスト出場をあたまから茶番と決めてかかったが、多くのプロレスファンは“ブルックリンの悪童”の来訪を快く受け入れた。門外漢のタイソンは観客サイドから伝わってくるプロレスのやさしい“温度”に触れ、いつのまにかプロレスラーのような気持ちでプロレスのリングに立っていた。
メインイベントは、ショーン対ストーンコールドのWWE世界戦。フィナーレは2度、やって来た。ストーンコールドが十八番ストーンコールド・スタナーで王者マイケルズから3カウントを奪い、WWE世界ヘビー級王座のベルトを手にしたシーンがフィナーレ“その1”。
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