「懲役6年」
――中学高校と明徳義塾・野球部のご出身ですが、かなり厳しい学校ですよね。全寮制で、監獄のようなところだと聞きます。
関本:いまは緩いんですけど、昔は厳しかったですね。規則がたくさんあって、制服と“明徳ジャージ”しか着ちゃいけないとか。寮の中は明徳ジャージで、学校へ行くときは制服。外出は禁止です。学校の敷地外に出てはいけない。それが6年間続きました。懲役6年です(笑)。
――中学からそんなに厳しい学校に入ろうと思ったのはなぜですか。
関本:父親が野球が大好きで、無理やり行かされたんです。野球選手になってほしかったみたいですが、僕は野球はあんまり……。自分から進んで、という感じではなかったですね。
――でも入学できたということは、野球が上手かったんですよね?
関本:受験をしてお金を払えば、だれでも入れます(笑)。運動能力とかは問われないです。野球部もだれでも入れますし。
――名将・馬淵史郎監督が、「打球の速さは寺本四郎よりも上」とおっしゃっていたそうですが。
関本:全くそんなことないです(笑)。一回だけ、2軍戦でホームランを打ったんですよ。そのときのことを言っているんだと思うんですけど、あくまで2軍戦ですから。A、B、C、Dと4軍ありまして、僕はDでした。
――明徳義塾にいながら、野球選手ではなくプロレスラーになろうと思ったのはなぜですか。
関本:プロレスが好きだったから。ただそれだけです。プロレスラーになりたいと思ったのは、中学校2年生くらいのときですね。プロレスを好きになったのは、小学校5、6年生のときです。叔父さんがプロレス好きでよく一緒に観ていたんですよ。プロレスのゲームが流行ったのも大きかったですね。スーパーファミコンが出たばっかりで。当時はスタン・ハンセンが好きでした。単純に、テンガロンハットを被って、ロープを振り回す荒々しさがすごいなと思いました。
――高校時代、筋トレに明け暮れたというのはプロレスラーになるためですか。
関本:そうですね。高校1年生くらいのときに筋トレを始めました。相撲道場の隣にウエイトトレーニング道場というのがあったので、そこに通って。「プロレスラーになりたい」と思いながらやっていました。
――明徳義塾で得たことで、いまレスラーとして活かせていることは?
関本:寮生活が長かったので、集団生活が気にならないことですかね。人がいると寝付けないとか、あるじゃないですか。移動中に寝なければいけないことが多いので、そういう人はキツいと思うんですけど。僕は全然、どこでも寝られます。
――高校卒業後、大日本プロレスに入団したのはなぜですか。
関本:野球部の監督が、当時、大日本プロレスの社長だったグレート小鹿さんと知り合いで、入団させていただきました。デスマッチは痛そうだなというのはありましたけど、プロレスの団体に入れるならと。入ったらデスマッチをやらなければいけないとか、そこまでは考えていなかったです。
――大日本の中で、どうやってストロング・スタイルの地位を確立されたのでしょうか。
関本:僕は普通にプロレスをしていただけです。とくにストロング・スタイルがどうとかはなかったですね。
――大日本プロレスは“インディー”とされていますが、インディーとメジャーの違いとは?
関本:メジャー団体は、地上波で放送されるというのが大きいですよね。インディーもスカパーの普及によって、たくさんの人の目に触れる機会が多くなってきてはいますけど。地上波に出ている選手を見ると、すごいなと思います。棚橋(弘至)さんとか、ゴールデンのバラエティ番組に出てますもんね。
――関本選手もバラエティ番組に出たいとは?
関本:思わないです(笑)。
――プロレスでは、新日本プロレスに負けたくないという気持ちはありますか。
関本:そうですね……やっぱり、新日本プロレスという大きな目標があるから、そこに向かって頑張れるというのはあると思います。