居場所は役割がつくる。「肩身が狭い思い」から抜け出すには?<魂が燃えるビジネス>
―[魂が燃えるメモ/佐々木]―
いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるビジネス」とは何か? そのヒントをつづる連載第33回
「自分には居場所がない」
そう感じたことはありませんか? 私たちは生きていくにあたりさまざまなコミニュティに所属します。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社。働きに出ずとも子育てをしていれば子供会やPTAなど、生活とコミュニティは切っても切り離せません。
そのコミニュティで居場所がない、肩身が狭いというのはつらいことです。「なぜ自分がこんな思いをしなきゃいけないのか」「一体何がいけないのだろうか」と悩んだ経験は誰しもあると思います。
その理由の一つとして考えられるのが「役割意識の欠如」です。居場所とは物理的な空間ではなく、精神的な是認によって生まれます。学校が居場所になるのは、その人が学生だからです。同様に会社が居場所になるのは会社員だから、家庭が居場所になるのは父や母や子供という役割を持っているからです。
そして、コミニュティでの評価は参加する他者によってなされます。一番わかりやすいのは恋愛です。恋愛において「いい人」はなかなか評価されません。
「いい人なんだけど、おつきあいするのはちょっと……」はというのはお馴染みの文句です。「一体に俺の何が悪いんだよ」と叫びたくなるかもしれませんが、相手は人格まで否定しているわけではありません。ただ相手の役柄が自分の望みと異なっていただけです。
私たちは相手をありのままではなく、役割を通して理解します。あなたにとっては同僚であっても、後輩から見れば先輩であり、上司から見れば部下です。あるいは仕事から離れれば、彼氏や旦那あるいは息子や孫になるかもしれません。そうしたすべての役割をひっくるめた総称が「人」であり、だからこそ「いい人」は「いい役」よりもぼやけてしまい、評価としては決め手に欠けるようになります。
能力もまた誤解しがちなポイントの一つです。私たちは「能力があれば認められる」とごく自然に考えます。しかしなまじ能力があるばかりにそれに偏ると、正しさを論じ、相手の間違いを指摘することが増えて、周囲から煙たがられてしまいます。
とはいえ、あまりに「学生」「会社員」「母親」といった役割を意識するあまり、自分の心をないがしろにしてしまうのも問題です。誰がみても「あの人、働きすぎじゃない、頑張りすぎじゃない」と心配するような我慢が続くと、ついには自分が我慢していることもわからなくなり、やがて大切な心身を損なうようになります。
自分の感性や個性に基づいて、社会で役割を担うこと。
私はそれが幸せに繋がる道だと考えています。現代では合理性が重視されていますが、感性はそれに先立ちます。どんなに正しく効率的だと説明されても、「嫌なものは嫌だ」というのが人間です。
そして、それは単なるワガママで終わるとは限りません。どんな場所に住み、どんな物に囲まれ、どんな人と集まり、どんな話をするのか。その追求はやがてライフスタイルになり、誰かに提供可能なレベルになるからです。その時、私たちは「こうしてはどうか?」という提案を、商品やサービスを通してできるようになります。
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コーチャー。自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」。著書『人生を変えるマインドレコーディング』(扶桑社)が発売中
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