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「あの素晴しいママをもう一度」なぜ人はオヤジになると女性を“ママ”と呼びたくなるのか――コラムニスト木村和久

木村和久の「オヤ充のススメ」その199 ―  タイトルからしてパクッてしまいましたが、元ネタはザ・フォーク・クルセダーズの「あの素晴しい愛をもう一度」ですからね。 「あの素晴しいママをもう一度」なぜ人はオヤジになると女性を「ママ」と呼びたくなるのか というわけで、オヤジ世代の子供の頃の思い出はテレビドラマ「奥さまは魔女」とかを見てた母ちゃんが西洋文化に被れて、子供に「ママ」と言わせたことですな。しかも旦那は「ダーリン」だからね。  東京のよろしき家庭はママと呼んで結構ですが、こちとらは宮城県の漁港育ちです。そこで「ママ~」なんて言ったら、友達からベーゴマ投げられそうです。でも、こっそり言わされていた子供いたなあ。  子供の頃、お母さんのことを無理やり「ママ」呼ばさせるのはどうなんでしょう。あと10年ぐらいしたら「ママハラ」って言われる可能性がありますよね。親が無理強いするな。子供の呼びたいように呼ばせようとか、そんな時代が来るかもしれません。  そして、ママの呼び名は自立心が出てくる中学校ぐらいになると、異性に対する見栄も生まれ「ママ」と言うことを拒否る、プチ反抗期が起こります。「おかあさん」ならまだしも、わざと「かあちゃん」とか「おふくろ」とか言っちゃったりして。それを聞いて怒る母もいれば、嘆く母もあり。いつしか若者は「ママ」の呪縛から脱却し、親離れして大人へと成長していくのでありました。  ところが、40歳ぐらいのいいオッサンになってみなさい。あれほど嫌っていた「ママ」という呼び名を突如頻繁に使い出します。というか、突然街中にママが大挙出現していることに気づくのです。スナックに行けばママ、小料理屋でもママ、おでん屋もママ、高級クラブも当然ママ、キャバクラはチーママ、ついでに飛行機に乗ってキャビンアテンダントさんにママ、ゴルフのキャディさんにもママって全部かよ~。とにかく女性が接客してくれれば、なんでもママですから。  子供の頃に失った渇きっていうの? 実はママと呼ぶのが大好きだったんだあ~。あの頃は恥ずかしくて言えなかっただけ。今、声を大にして言おうではないか「ママァ~ドゥユリメンバー~」って、なんで「人間の証明」のテーマ曲なんだよ~。  こんな長い前振りを受け、次に世界のママを堪能しつつ、将来あるべきママ像を探ってみたいと思います。  以前、香港に行ったときに歌や踊りのあるグランドキャバレーに行ったのですが、そこには世界のママが10人程いました。当然日本人ママもいて、その配下の若いコとはしばし、楽しいひと時を過ごしました。日本人も少々いましたが、多くは日本語が喋れるアジア系の人々でしたね。  東京でもオリンピックがあるので、世界のママ10人を集めて、政府公認の社交施設を作ればいいと思います。欧米では「ナイトクラブ」が有名ですが、日本にはあてはまる施設が少ないです。若者が集う「クラブ」か、大衆キャバクラですか。いずれにせよ、外国人対応はさほどしていません。ロボットレストランだけに頼っていては、たくさんの外国人のおもてなしができないと思います。  公式社交サロンが実験カジノと抱き合わせで開催したらウケると思いますよ。そしたら、やっぱりママは、オリンピック招致で活躍した滝川クリステル様にお願いするしかないですよね。
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実在した伝説のママ
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※ちなみに、本連載をまとめた「50歳からのかろやか人生」(雷鳥社・3月9日発売)では、このような水商売の面白話が、テンコ盛りです。よろしかったら読んでみてください。

50歳からのかろやか人生

体は枯れても頭の中は未だ現役気分、コラムニスト木村和久が贈る そんなバブル世代(50~60歳)へ向けた老後生活の道しるべ

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