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10歳で曲芸師に弟子入りした尾藤イサオ。歌手を目指したきっかけは?

―[クリスのお宝箱]―
尾藤イサオ編 アナログ盤、CD、DVDなど約2万枚以上。さらに雑誌やポスター、グッズ、珍品なども所有し(現在も収集中)、アーティストからも認められるほどの大の音楽ファンのクリス松村が、MCを務める『ミュージック・モア』で秘蔵のコレクションからとっておきの1枚を披露!  今回の『ミュージック・モア』のゲストは、尾藤イサオさん(※)です!  尾藤さんのロック魂というか、歌唱力は衰えを知りません。ちなみにお年を伺ってビックリ! 1943年生まれの76歳! 内田裕也さんとともに、日本ロック界の草創期に登場したロカビリー歌手です。  その芸歴は長く、10歳から曲芸師の師匠に弟子入り! いまでいうジャグリングなどを演じる修行をしていたそうです。「なぜ、ロカビリー歌手に?」と聞いた瞬間……。
尾藤イサオ

突然、手のひらから金属棒が飛び出す手品を披露する尾藤イサオさん

 尾藤さんの手のひらから、金属の棒が飛び出してきたんです! 打ち合わせになかったので腰が抜けるほどビックリ! さすが、元・曲芸師だと感心しました。
クリス松村

何が起きたかと、悲鳴を上げるクリス松村

 それで、なぜ、ロカビリー歌手になったのかと、伺うと……。 「12~13歳のとき、ラジオから流れてきたのが、エルヴィス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』だったんです。これを聴いて、いっぺんに、プレスリーファンになってしまって、16歳で一人前の曲芸師になった日、師匠に『プレスリーのような歌手になります』と言ったら、『お前、本気で不良になるのか』と言われましたね(笑)」(尾藤イサオさん)  その後、18歳で歌手デビュー。1964年、アニマルズの『悲しき願い』をカヴァーして大ヒット! 一躍、人気ロカビリー歌手になった尾藤イサオさんですが、ここからの人生が、すごいんです。

ビートルズの武道館公演を内田裕也と尾藤イサオが独占!?

 ロカビリー歌手で人気絶頂の尾藤さんに、前座の仕事が舞い込んできたのは1966年のこと。それが「ザ・ビートルズ日本公演」で、内田裕也さん、寺内タケシさんとブルージーンズ、ドリフターズとともに、尾藤イサオさんが前座を務めました。
尾藤イサオ

ビートルズの前座で、意外なエピソードを話す尾藤イサオさん

「いまでこそ、武道館公演はアリーナ席が用意されますが、当時は、警察官と関係者だけだったんです。前座が終わって楽屋に戻ったら、内田裕也さんが『おい、見に行こうぜ』とステージの目の前にイスを置いて見たんです。ビートルズを2人で独占した気分でしたね。当時は、“ボンボンの音楽”だと思って聞いてましたよ(笑)」
クリス松村

お宝箱から、プレスリーの『ザッツ・オールライト』(サン・レコード)を取り出すクリス

 さて、今週の「クリスのお宝箱」は、プレスリーをこよなく愛す尾藤イサオさんのために、「サン・レコード(Sun Records)」をご用意しました。 「サン・レコード」とは、1952年にアメリカ合衆国テネシー州メンフィスで設立されたインディペンデント系レコードレーベルです。プレスリーが最初に吹き込んだ『ザッツ・オールライト』を、サン・レコードからリリースしたことでも知られています。  このレコードを流したら、軽快なリズムに乗って、尾藤さんは一緒に歌い出しちゃったんです。プレスリー愛を感じました。
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『あしたのジョー』の「♪ルルル~」。実は歌詞があった!?
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タレント、音“楽”家(おんらくか)。 邦楽、洋楽問わず、音楽好きが高じて、番組出演にとどまらず、テレビやラジオの番組監修、構成、音楽解説なども手掛ける。TOKYO MX『ミュージック・モア』(毎月第1・第5土曜日午前11時30分放送)ではレギュラーMCを務める。

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