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東大の成績上位層が「自分は頭が悪い」と公言する合理的な理由

思考は「ジグソーパズル」と似ている

「いやいや、そんなこと言っても、頭の良し悪しというものは知識の量なんかでは決まらないよ!」と考えられる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そんなことはありません。本当は知識量だけでも頭の良し悪しがほぼ決まります。  それは何かを考えるためにはベースとなる「知識」が必要になるからです。 東大生「考える」という作業はジグソーパズルの組み立て作業に似ていると僕は考えています。  すでに手元にあるピースをああでもないこうでもないと組み合わせていって、最終的にきれいな絵を完成させるという作業は「あらかじめ持っている知識を活用して、知らないことや、今までになかったような発想ができるようにする」という作業とそっくりではありませんか?

「知識の詰め込み」も実は大切な理由

 逆にいえば、「ピースがなければパズルは作れない」ということでもあります。  知識の詰め込みよりも「本当に大事なのは考えることだ!」という意識が濃くなっている現代、「考える」という行為が万能に捉えられがちであるように思いますが、実は「考える時こそ、知識が必要」なのです。 「知識がない状態での考える行為」は悲惨です。何も知らないからこそ、何かを考えるための手掛かりがなく、「考えること」すらもできない。さらに何を質問していいのかさえわからないから聞くこともできない。このような「負のスパイラル」に陥ってしまうからです。
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「今、知らないこと」は大した問題ではないが…
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