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渋沢栄一の時勢をとらえて決断する「変わり身テクニック」、ブレても問題なし

「名」より「実」をとった

 さて、問題はそのあとである。計画を断念したのはよいが、実家も捨ててしまったし、行くあてもない。故郷を追われた渋沢は、同じ状況にある喜作とともに、いったん江戸に出て、さらに京都へ向かう。  そこで渋沢は一橋家の家臣、平岡円四郎のもとを訪ねている。そして、喜作とともに、一橋家の家臣として生きる道を選ぶこととなった。  もともと、平岡から誘われていたのがきっかけだったが、それにしても大胆な決断である。なにしろ攘夷という名のもと、幕府へのテロ行為を企んでいたのだ。その幕府に極めて近い一橋家の家臣になるなど、「みっともない」と考えてしまいそうなものだ。  現に、同行者で従兄弟の喜作は一橋家に仕官することに反対。こう抵抗している。 「これまで幕府を潰すことを目的に奔走してきたのに、我が心に恥ずかしく思わないではいられないではないか」  渋沢の活躍を知っている身からすれば、喜作の心配はいかにもスケールが小さいように思ってしまう。しかし、実際には、「ブレていると思われなくない」という恐れから、この喜作ように考えて、自分の行動を縛ってしまいがちである。  だが、渋沢は、周囲からどう見られているかを気にしなかった。「ただの浪人よりも、一橋家の家臣のほうが社会に対して影響力を持てる」という極めて合理的かつ、シンプルな考えで、軽やかに決断を下している。  この変わり身の速さこそが、渋沢の真骨頂といえるだろう。

時代の変化に応じた決断を下す

 渋沢は喜作の説得に成功すると(前回記事参照)、一橋家の家臣となり、財政の立て直しのために次々と施策を実行する。いったん、この道と決めたならば、後ろを振り返ることなく、突き進むのも渋沢の特性である。  その手腕を認められ、のちに第15代将軍となる徳川慶喜に推薦され、パリ留学を果たした渋沢。ところが、渋沢はパリの地で、慶喜が大政奉還したことを知る。渋沢が帰国したときには、すでに明治維新は成し遂げられていた。そのときの心情をこう書き記している。 「主家がひっくり返ってしまった次第であるから、江戸が東京となったばかりでなく、すべての変革は誠に意外でした」  そう驚くのも無理もないが、さらに意外なことが渋沢の身に降りかかる。税務の担当として大蔵省の官僚に抜擢されたのである。  蟄居した慶喜とともに駿河で一生を過ごすつもりだった渋沢は、これを固辞。静岡藩の体制の立て直しに専念したいと理由を述べた。だが、大隈からこんなふうに言われてしまう。 「われわれがこれからやろうという仕事は、そんな小さなものではない。日本という一国を料理するきわめて大きな仕事である」  税務の知識もないだけに渋沢は戸惑いながらも、大蔵省に入所することを決意。かつて自分よりも長七郎のほうに知見があると見るや、攘夷の計画を中止したように、このときも、大隈のほうが明らかに広い視野を持っていると気づいたのだろう。このときも渋沢は相手の意見に従っている。  大蔵省のキャリアになった渋沢は、アメリカ式会計法を導入するなど、一橋家と同様に改革を進めていく。まだ何もかもが手探りの明治政府にとって、渋沢のように海外の事情を知る人材は貴重だったようだ。  しかしながら、大蔵卿の大久保利通と反りが合わずに対立を深める。その溝が埋まることなく、渋沢は大蔵省を辞して、実業家への転身を果たす。  実行家として独り立ちした渋沢は、日本で初となる銀行を設立。その後、あらゆる分野での起業に携わり、日本を近代国家に生まれ変わらせる先導役となった。

ビジネスパーソンこそ変幻自在であれ

分岐点 尊王攘夷の志士から一橋家の家臣へ。そして、一橋家の家臣から大蔵省へ。さらに、大蔵省から実務家へ……。  目まぐるしい転身は、まるで軸がない生き方のようにも見えるかもしれない。特に日本では「一つのことに打ち込んで極める」「一所懸命に働いて、筋を通す」ことが美徳とされがちである。  もちろん、一本筋の通った生き方は尊敬に値するべきものだが、ビジネスの世界では、その方法だけだと壁にぶつかることも多い。なにしろ時代や社内外の変化に応じて、消費者や働き手の価値観が変わり、技術も革新していく。  むしろ、渋沢のように変幻自在に自分の立場を変えながら、それでも自分を失わない生き方を模索したほうが、ビジネスパーソンとしては、充実した人生を過ごせるのではないだろうか。  自分自身のなかにある声によく耳を傾けながら、時代をつかむ。そのうえで、変節もまた一興と、受け入れてしまう。そんな渋沢の、時勢をとらえた「変わり身テクニック」を、ビジネスの世界でぜひ生かしてみてほしい。  人生は、自分が思っている以上に自由に生きられるのだから。<文/真山知幸> 【参考文献】 渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書) 渋沢栄一『青淵論叢道徳経済合一説』(講談社学術文庫) 幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫) 木村昌人『渋沢栄一――日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書) 橘木俊詔『渋沢栄一』(平凡社新書) 鹿島茂『渋沢栄一(上・下)』(文春文庫) 渋澤健『渋沢栄一100の訓言』(日経ビジネス人文庫) 岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年に独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。著書『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は累計20万部のベストセラーとなった。そのほか『偉人メシ伝 』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』など著作50冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は『逃げまくった文豪たち』『おしまい図鑑』。X(旧Twitter):@mayama3
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