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中国侵略に加担した贖罪意識。岸田総理は大平正芳の哲学を学べ<東京工業大学教授・中島岳志氏>

大平正芳の「楕円」の思想

―― 中島さんは若松英輔さんとの新著『いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている』(集英社)で、宏池会の大平正芳を取り上げています。大平もまたアジアを重視した政治家でした。 中島 大平のベースにあったのは、戦前、大蔵省から中国の興亜院に出向した経験です。興亜院は対中国占領政策を扱っていた中央機関で、大平はその連絡部の一つである内蒙古の張家口に赴任しました。  しかし、ここは大平にとって居心地のいい場所ではありませんでした。大平は中国で強大な権力を握っていた軍部とまったく話が合わず、厄介者扱いされていました。また、張家口周辺は農業地帯で、アヘンを大量に輸出していたことから、大平は日本政府が占領支配にアヘンを利用した「アヘン政策」に関わらざるを得ませんでした。大平はのちに嫌な経験だったと話していたそうです。  日本が敗戦を迎えたあとも、大平は自分が侵略の一端を担ったという自覚と内省を持ち続けていました。この贖罪意識を抜きにして、大平の政治を語ることはできません。  大平は第二次池田内閣で外務大臣に就任すると、韓国との国交正常化交渉を主導しました。日本と韓国の間には戦後補償をめぐる対立がありましたが、大平は経済協力など様々な手段を通じて信頼関係を構築し、合意に持ち込みました。  また、田中政権でも外務大臣に就任し、日中国交正常化に尽力しました。当時は冷戦時代でしたが、アメリカのニクソン大統領が突然中国を訪問するなど、国際情勢が大きく変わろうとしていたときでした。それまでの自民党政権は台湾との関係が強く、中国とは距離を置いていましたが、大平は台湾を傷つけないようにしながら、中国を国際社会の中に取り込むため、中国とシビアな交渉を進めました。  さらに、大平は総理大臣になると、環太平洋連帯構想を提唱しました。アメリカと中国のどちらか一方を選ぶのではなく、アメリカと中国の間の均衡点を見極めつつ、環太平洋という新しい枠組みを提示したのです。  この背景には、大平が重視した「楕円」という考え方があります。楕円形のように二つの中心があり、それらが均衡を保ちつつ緊張した関係を維持していれば、何か一つの正義を盲目的に信じるようなことはなくなります。「もう一つ別の解がある」という意識を持つことで、無謬性にとらわれることを回避しているわけです。  大平が政治に関して「100点を狙ってはいけない。60点でなければならない」という態度をとっていたのも、同じ理由からです。大平は常に自分は間違えているかもしれないと考え、自分と異なる意見を受け入れるために、40点分の余地を残していたのです。  これは保守思想のエッセンスでもあります。自分の不完全性と向き合い、異なる他者と合意形成していくのが保守政治の基本姿勢です。その意味で、大平はまさに保守政治家だったと言えます。

「コトバ」を失った指導者たち

―― 宏池会会長である岸田総理は、デジタル田園都市構想など、大平を意識した政策を打ち出しています。しかし、字面は似ていますが、岸田総理には大平のような説得力は感じられません。中島さんは『いのちの政治学』で、リーダーたちの言葉のあり方について議論しています。 中島 哲学者の井筒俊彦は、言語によって伝えられる言葉とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるとして、それを「コトバ」と呼んでいます。私たちはしばしば、大切な思いが言葉にならないという経験をしたことがあると思いますが、言葉にならないからといって、その思いが存在しないわけではありません。沈黙のほうが雄弁であることさえあります。  たとえば、ドイツのメルケル前首相は昨年3月18日に国民に向けて行ったテレビ演説で、世界中でコロナの致死率や死者数などの数字が問題になる中、「これは単なる抽象的な統計数値で済む話ではない」と述べ、ある人の父親や母親、あるいはパートナーなど、実際の人間が関わっている問題だと訴えました。そして、戦いの最前線に立つ医療関係者や、食料品などの供給を担うスーパーの店員などに感謝を述べ、国民に協力を呼びかけました。  演説文だけ見れば、メルケルは決して特別なことを言っているわけではありません。しかし、私はドイツ語はわかりませんが、メルケルが演説している姿を見ていると、どこかぐっと迫ってくるものがありました。それは彼女が言葉以上の「コトバ」を発していたからだと思います。  日本のリーダーたちと比べると、その差は歴然としています。安倍元総理や菅前総理は、多くの国民がコロナ禍で苦しんでいるにもかかわらず、官僚の書いたペーパーやプロンプターに映し出された原稿をひたすら読み上げるだけでした。  岸田総理も同様です。岸田総理は一見すると大平と似たようなことを言っていますが、彼が実際にどのような思いを持っているのかまったく伝わってきません。思わず「あなたの声を聞かせてくれ」と叫びたくなるほどです。  大平の演説も、田中角栄のような派手さはありませんでしたが、言葉以上の「コトバ」を発していたと思います。大平は演説する際、前置きのように「あー、うー」と口にしており、その口癖は散々揶揄されましたが、彼が「あー、うー」と言うとき、そこには常に「本当にこれを言っていいのか」という逡巡や戸惑いがありました。もっと踏み込んで言えば、彼はこの瞬間に神と対話していたのだと思います。大平は敬虔なクリスチャンでしたが、「自分のような愚かな人間が、このようなことを言っていいのでしょうか」と、神に問いかけていたのだと思います。  岸田総理が大平の思いを受け継ぐつもりがあるなら、大平の上澄みだけすくうのではなく、きちんと大平の著作を読み直すべきです。そして、彼がどういう人間観や哲学を持っていたかということをしっかり学んでほしいと思います。 (12月8日 聞き手・構成 中村友哉 記事初出:月刊日本2022年1月号
―[月刊日本]―
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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月刊日本2022年1月号

【特集1】「新しい資本主義」の正体
【特集2】覇権国家・中国とどう向き合うか


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