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『どうする家康』で話題の今川家、現代社会なら「ベンチャーによって倒産に追い込まれた名門企業」

衰退期に領民と向きあった今川氏真

倒産の会見 強大な勢力を誇った今川家にとって、最大の誤算。それが、桶狭間の戦いで義元が討たれて敗れたことだ。義元亡きあと、家督は嫡男である今川氏真が継ぐことになった。  だが、当主が亡くなった直後は、その隙を突こうと、周囲の勢力も動きが活発になるのが常である。徳川家康はいちはやく今川家を離れ、また、遠江国内においても、挙兵が相次いで混乱に陥った。  なんとか国内の反乱を食い止めた氏真は、国の立て直しに着手した。1566(永禄9)年から1568(永禄11)年にかけては、百姓たちの訴えに応じて、徳政令を発布。借金を帳消しにしている。「井伊谷徳政」と呼ばれている政策である。  会社の経営にたとえれば、従業員がどんどん辞め始めそうだから、慌てて給料を上げるようなものかもしれない。それでも、やらないよりはもちろん、やったほうがよいに決まっている。  また、同じく1566(永禄9)年、氏真は毎月6回の市を「楽市」として商人の税を優遇。さらに、同年、遠江国の棚たな草郷の用水問題にも着手して、村民たちから感謝されている。  矢継ぎ早に行われた国内政策から、氏真の焦りがよく伝わって来る。今川家の結末を知っている私たちからすれば、悪あがきにしか見えないが、当時を生きた氏真からすれば、父亡きあとに、なんとか再び今川家を盛り返そうと必死になっていたのだろう。  それでも、努力がすべて報われるほど、戦国時代もビジネスも甘くはない。今度は武田家が駿河に攻め込んでくる。  武田家の侵攻を受けた氏真は、遠江国の掛川城へ逃げ込んだが、今度は家康が攻撃を仕掛けてくる。弱り目に祟り目。全く戦国時代は容赦ない。  氏真は降伏して掛川城を開城する。そして家康の庇護に入り、戦国大名としての今川家は事実上、滅亡することになった。

今川氏真を丁寧に描いた『どうする家康』

株価暴落 織田家というベンチャー企業に敗れてからは急転して、衰退の一途をたどった今川家。信玄による駿河侵攻、家康による遠江侵攻、そして、遠江国衆たちの反乱の三連コンボでノックダウンといったところだろう。  氏真は、いわば老舗の大企業を倒産させたダメ経営者ともいうべき存在だ。フィクションでも散々な描かれ方をされることが多く、とにかく蹴鞠ばかりにうつつを抜かすキャラ設定が目立つ。  だが、実際の氏真は、領民の不満や要望に向き合い、一つひとつ、地道に解決しようとしていた。また、掛川城を明け渡す際には、家臣の助命を引き換えにしている。有事でなければ、心優しきリーダーとして、皆に慕われた可能性も高い。  氏真は、優秀なリーダーとまではいえなかったかもしれない。だが、信玄や信長、家康と、強大なリーダーに囲まれるなかで、明らかに衰退していく組織を任された点は、やや情状酌量の余地があるように思うが、いかがだろうか。その点、今回の大河ドラマ『どうする家康』で氏真の背負った宿命のつらさまで表現されていたので、実に見応えがあった。  そういいながらも、筆者も、現代の会社に置き換えたときに「株式会社 今川家」に勤めたいかといえば、「最盛期だったら……」としか言いようがなく、もし、桶狭間の戦いに敗戦したあとならば、氏真社長を置いて、さっさと退社してしまうだろう。  方法論はともかく、リーダーはやはり結果にこだわらなければならない。今川家の末路と後世の辛辣な評価から、そのことを再認識させられるのだった。 <文/真山知幸>
伝記作家、偉人研究家、名言収集家。1979年兵庫県生まれ。同志社大学卒。業界誌編集長を経て、2020年に独立して執筆業に専念。『偉人名言迷言事典』『逃げまくった文豪たち』『10分で世界が広がる 15人の偉人のおはなし』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』など著作多数。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は累計20万部を突破し、ベストセラーとなっている。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などで講師活動も行う。最新刊は『「神回答」大全 人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー100』。
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