ライフ

「4歳のときビール瓶で頭を殴られた」父のアルコール依存症と戦い続けた男性が選んだ道

月給10万円で泊まり込んで介護に明け暮れる

 1998年に大学を卒業後、藤田氏は埼玉県内の社会福祉法人に介護職として就職する。そこは特養老人ホーム、ケアハウス、重度身体障害者の入居施設、在宅介護支援センター(現在の地域包括支援センター)などあらゆる介護施設を運営していた。 「当時の介護職は安月給だったので、食費、制服代、社会保険料を引かれると手取りは10万円くらい。就職して3か月後に介護職の集団離職がありました。夜勤に入る人がいないのでずっと夜勤。日勤も足りない。朝から晩まで住み込んで働いていました」  ほぼ家に帰ることがなく、 1人暮らしをしていたアパートは解約。さぞ残業手当はすごい金額になったはずだが……。 「当時は新卒で、よく分からなかったので、手取り10万円で残業手当はなしでした。だけど、特に不満は感じませんでした。こっちが頑張っただけ入居者や利用者が元気になる。成果が見えやすくやりがいを感じました」

父がアルコール性の認知症を発症

 そんな働きぶりを見ていた理事長からの信頼は厚く、藤田氏は24歳で従業員700人の同法人事務長に登用。その一方で、父は55歳で引退したタイミングでアルコール性認知症を発症する。 「うんこを漏らしたり、1日に電話を何度もかけたりしてきました。もともと、偏食がひどくうどんしか食べなかったのですが、うどんを食いたい、酒を買ってこい、何で敏子(母)はいないんだと1日に何度も電話がかかってきて、“きたな”と思いました」   父が認知症を発症すると母はすぐに離婚を決意し、7LDKの実家マンションを出ていった。妹も父を嫌い、実家に寄り付かない。 「月1回ほど通っていましたが、仕事があったので、父は放置状態でした。精神科への受診は嫌がるので、内科から精神科に繋いでもらおうとしてもバレてしまう。受診拒否するのでたぶん認知症だと思いながら6~7年が経ってしまいました」  これは今でも変わらないが、アルコール依存症で他害の恐れがある高齢者の行き場はない。精神病院への長期入院が一般的だ。精神病院の受診拒否をする認知症の高齢者には、支援の手は届かない。藤田氏一人に負担がのしかかった。
次のページ
父の介護とお泊りデイサービスを起業
1
2
3
4
5
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1

記事一覧へ
おすすめ記事