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「4歳のときビール瓶で頭を殴られた」父のアルコール依存症と戦い続けた男性が選んだ道

オペをして酒を飲んで生きる

藤田英明

2012年、36歳のとき、内閣府規制改革会議に参画する藤田英明氏

 藤田氏は事業を拡大しながらも、プライベートでは父の介護を続けていた。仕事で看られない時間帯は、私費で看護師についてもらい、その費用は1か月で80万円を超える月もあったという。 「そんな父が60代になり体調不良を訴えてきました。病院に連れて行くとガンが発覚。ステージⅢの肝臓がんでした。父には『オペをして酒を辞めて生きるか、オペをせずに酒を飲んで死ぬか選べ』と迫りましたが、父は『オペをして酒を飲んで生きる』と言ってきかなかった」  手術により片方の腎臓を切除し、飲める体ではなくなった父だが、それでも酒を飲み続けた。家の中は糞尿だらけ、窓ガラスは父がゴルフクラブで叩き割ってしまうので、その都度、業者を呼び修理をした。父が窓ガラスを叩き割ったのは、数十回以上だった。  1回目は寛解した父だが、2年後にガンを再発する。ステージⅣの肝臓・膵臓ガンだった。病院でオペもできないしどうするか考えた結果、父は自宅にいることを選んだ。自宅で酒を飲んで過ごす。それが父の願いだった。

壊れた家庭と糞尿まみれの家があるだけ

「その時に長生きすることがそんなにいいことなのかと考えました。オヤジが酒をやめたとしても目の前には壊れた家庭と糞尿まみれの家があるだけ。今さら、断酒させられて、そんな現実と向き合うことはオヤジにとり苦痛でしかない。治療をしない自由があってもいい」  そう考えた藤田氏は、父の願いを叶えることに決めた。在宅介護を続け、1年弱、父の体はモルヒネとアルコールにより弱っていった。暴れることは減っていった。だが、アルコールと点滴と病により、体中がむくみ、腹は腹水でパンパンに膨れていた。  仕事中に父を看ていたナースから、危篤の連絡を受けた藤田氏が駆けつけると、父の意識はすでになかった。父の死をどんな気持ちで受け止めたのか。「初めて悲しいと思いました。この世にもうオヤジがいなくなるんだと」。憎しみもなくとてもフラットな感情だったという。享年63だった。
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葬儀で初めて流した涙のワケ
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ライター・原作者・あいである広場編集長。立教大学経済学部経営学科卒。「認知症」「介護虐待」「障害者支援」「マイノリティ問題」など、多くの人が見ないようにする社会課題を中心に取材する。文春オンライン・週刊プレイボーイ・LIFULL介護などで連載・寄稿中。『認知症が見る世界』(竹書房・2023年)原作者

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