映画はいかに3.11を撮ってきたのか【岩井俊二×森達也×中田秀夫】
『311』をいち早く撮った。郷里が被災した岩井俊二は宮城県でロケし、併せて識者や専門家に話を聞く『friends after 3.11【劇場版】』を発表した。そして中田秀夫は岩手県山田町で一命をとりとめた方々に、『3.11後を生きる』で密着した。
3人の映画監督が、三者三様の描き方で切り取った「3.11」。2年目の節目直前に、それぞれの“思い”をぶつけ合う。
――被災地に入られたのは森さんが一番最初で、2週間後でしたね。
中田:僕は4か月後でした。
森:中田さんが撮られた『3.11後を生きる』を観ると、僕が見た光景はほとんど変わっていない。岩井さんの映画でもそう。被災地はどこもかしこも時間が止まったみたいです。復興が遅いということだけではなく、それほどの災害だったのだと思います。壊れたら修復される。僕たちはいつのまにかそれが当たり前になっていたけれど、実はそれほど簡単なことではないと今さらながら実感しました。
岩井:僕はゴールデンウィーク明けの2か月後、出身地の仙台に戻り、ひとりでビデオカメラを回し、それがのちに『friends after 3.11』に繋がっていきました。被災地で一番実感したのは、亡くなった方のことを残された人々は一刻も忘れられず、苦しみながら確かな存在として心に留め続けていること。中田さんのドキュメンタリーを観て、まさにそこがテーマだった気がしました。
中田:ありがとうございます。僕は当初、テレビ局の方から「今の日本を海外に向けて発信する番組を作ってほしい」と依頼を受けまして、これだけのことが起きて、3.11を避けて、なかったかのようなドキュメンタリーを撮るわけにはいかんと思い、最初は助手と二人で岩手、宮城を回ってたんですけど、テレビ局の方とは方向性の違いから、TV番組ではなく自主映画となりました。
森:二人はドラマの演出家だと世間的には思われているけれど、今回はドキュメンタリーという手法を選択した。僕は一応ドキュメンタリーをやってきたけれど、もう10年間カメラを手にしないまま活字仕事しかやらないつもりでいた。つまり3人ともちょっとイレギュラーなんですよね。ある意味で自分が持っていた手法が太刀打ちできなくなった。それは他のメディアの人たちも同様で、レギュラーな存在になった。それまでは現場に行って、被害者の遺族にカメラやマイクを向けて「お気持ちは?」なんてルーティンワークでやってきたけれど、それが成立しない世界が目の前に広がっていて。僕も含め誰もが呆然とするばかりで、誰に何を聞けばいいのかわからない。そもそも何を伝えるべきかわからない。この無力感とジレンマを日本中が共有した。だからこそ“後ろめたさ”が起動します。なぜ自分は生きていて、彼ら彼女らは死ななくてはならなかったのか。その思いは遺族も持っています。
中田:そうですね。自分が今まで何もやってこなかったという、ものすごい後ろめたさはありますね。それで僕なりに、子供や孫を失った方たちの苦しみと向き合うために、『3.11後を生きる』をつくったところはあります。
3人の映画監督が、それぞれのアプローチでフィルムに収めた「3.11」。2/26発売の週刊SPA!「映画はいかに3.11を撮ってきたのか」では、彼らが感じ、向かい合ってきた「後ろめたさ」、そして震災後の状況に馴化していく中で我々がなすべきことについてさらに深く語っている。
●『311』http://docs311.jp/
●『friends after 3.11【劇場版】』http://iwaiff.com/fa311/
●『3.11後を生きる』http://wake-of-311.net/
(文中敬称略)
<取材・文・構成/轟夕起夫 撮影/菊竹規>
あれから2年。誰しもが「3.11」のことを改めて考えてみようと試みる時期ではないだろうか。
今回SPA!が着目したのは、ドキュメンタリー映画だ。
例えば森達也は、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治といった仲間たちとともに
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