「バドミントン選手⇒人材会社経営」元アスリートが引退して気づいた“セカンドキャリアの難しさ”
たゆまぬ研鑽の末、常人では考えられないパフォーマンスを見せるトップアスリート。だが、体が資本であり、いずれは己のセカンドキャリアと対峙することになる。
「自身の将来を考えるとバドミントンを諦めざるを得なかった」と語るのは、3年前までバドミントン選手として実業団に所属していた古屋玲氏。現在は人材会社を経営する古屋氏に自身の「引退」との向き合い方や、日本のアスリートたちが引退後に直面する課題について聞いた。
2020年まで、実業団チームに所属するバドミントン選手として活動していた古屋氏。地元・山梨県で小学校4年生からバドミントンを始めたところ、才能が開花。県内一の強豪高校に特待生として入学後も実績を重ね、神奈川大学にスポーツ推薦で入学した。
「大学時代から『バドミントン選手として頑張っていきたい』という考えがあったので、卒業後は旭工芸という会社の実業団チームに加入しました。当時のチームは、サッカーでいえば、Jリーグ2部であるJ2の3~4位くらいのレベルでした。僕自身の現役時代の記録は全国大会ベスト16です」
スポーツに打ち込み、キャリアを重ねたきた古屋氏だが、2020年に25歳で引退を決意した。
「きっかけは、コロナ禍で予定していた試合や大会などがキャンセルされるなか、『本当に自分はこのままアスリートを続けていていいのか』と不安になったからでした。その後、会社を辞めて、かねてから興味のあった人材業界で起業することを選びました」
スポーツ選手には「2つの障壁がある」という古屋氏は指摘する。その1つは金銭面。
「実業団選手は大会でいい成績を残しても、給与には反映されないケースがほとんどです。僕の場合は、初任給はほかの同期の正社員と同じで、月に約22万円でした。生活は十分できる金額ですが、遠征先での滞在費用や体のメンテナンス費用など出費も多かったので、生活には余裕はありませんでした。そんな日々を送るなか、『自分が結婚した場合、子供をちゃんと養えるのだろうか?』と不安になったことも次のキャリアを考えた理由です」
また、古屋氏は、「そもそも競技に人生をささげてきたアスリートで、食える人は一握り」と続ける。
「野球のようなメジャースポーツであっても、独立リーグの選手などはバイトしながら試合に出ています。バドミントンのような競技人口が多くないスポーツの場合は、状況はもっとシビアです。僕はトップ選手である桃田賢斗選手と同年代なのですが、バドミントンだけで食べていけるのは、彼のようなトップ選手を含めた上位十数人だけじゃないでしょうか」
現役選手として活動する以上は、当然自分もトップ選手になりたいと願うのは当然のこと。古屋氏の場合も同じような思いを抱いたが、実際に桃田選手をはじめとする、第一線の選手たちとも試合を重ねた結果、その願いは打ち砕かれたという。
「コテンパンにやられて、まったく歯が立ちませんでしたね。上に行けば行くほど、すごい選手と実際に試合する機会が増えるので、『努力では埋められない差ってあるんだな』と自分の実力のなさを痛感させられました」
全国大会ベスト16のプロアスリートから、突如引退を決意
トップ選手じゃないと「食えない」という実情
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