五輪エンブレム問題に見る「佐野氏と小保方氏の違い」――精神科医・香山リカが分析
東京オリンピックのエンブレムの使用中止が決まり、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会事務総長の武藤敏郎氏らが記者会見を行い、デザイナーの佐野研二郎氏が自身のホームページに見解を発表した。
私はデザインについての知識は皆無なのでエンブレムが模倣や盗用なのかを判断することはできないのだが、会見や見解には正直言って違和感を覚えた。おそらく多くの人がそう感じたのではないだろうか。
それは、委員会も佐野氏も「エンブレムには何の問題もないが、ネットリンチのせいで撤回せざるをえなくなった」と言おうとしているように見えたからだ。
ネットリンチがあったかどうかはたしかに検討すべき余地はあるかとは思うが、「だから撤回したのだ」という説明にはどこか“自己愛なニオイ”を感じてしまい、それに違和感を感じるのだ。
会見で事務総長の武藤氏は、佐野氏から「模倣・盗用ではなく独自に作ったデザインだが取り下げたい」という申し出があり、本人へのヒアリングなどの結果、組織委員会としても「(模倣・盗用だからというのではなく)一般の国民の理解は得られないのではないか」という懸念に基づき、このたびの使用中止を決めた、と説明した。
さらに、ヒアリングにはエンブレムの審査委員長である永井一正氏が同席し、「デザイン界の理解としては(エンブレムは)佐野さんの言うとおり、オリジナルなものとして理解される」が「専門家の間では十分わかりあえるんだけれども、残念ながら一般国民にはわかりにくい」と述べたことも明らかにされた。
では、なぜここまで「模倣・盗用ではない」と主張しながらも、佐野氏は自らエンブレムの取り下げを申し出たのか。
武藤氏の記者会見やホームページの見解では、その理由について「自分や家族への取材攻勢、誹謗中傷やプライバシー侵害が昼夜問わず続いている」「人間としては耐えられない限界状況だと思うに至った」「家族やスタッフを守るためにも、これ以上今の状況を続けることはむずかしいと判断した」と説明されている。
これらを行ったのは誰か。武藤氏や佐野氏はそれを明らかにしていないが、文脈からは「マスコミ」、それと「匿名のインターネットユーザーたち」を指していると思われる。とくに佐野氏の見解のほうでは、ネットを使った攻撃の具体例などもいくつかあげられていた。
つまり佐野氏、審査委員会、五輪組織委員会の誰も間違ったことはしていないのだが、佐野氏を安田浩一氏が書いたところの『ネット私刑』(扶桑社新書)から守るために、今回の使用中止に踏み切った、と言いたいのだろうか。
これは何とも後味の悪い結末だ。
昨年のSTAP細胞問題はまだルールがはっきりした科学の世界でのできごとだったため、調査委員会が設置され、名門科学雑誌『Nature』に掲載された論文の写真の改ざんや捏造を含む「研究不正行為」が明らかにされ、論文は撤回となった。あのときもそもそも「論文におかしいところがある」「コピペではないか」と言い出したのはネットユーザーたちであるし、中心人物の小保方氏が若い女性だったこともあり、プライバシーの暴き立てなどは凄まじかった。
では、そういったネットリンチから身を守るために、小保方氏は論文を撤回したのだっただろうか。
そうではない。昨年の4月に行った単独記者会見で小保方氏は「STAP細胞はあります」と断言し、論文作成上に問題があったことは認めたが、撤回は強く否定した。
それなのに6月になって撤回に踏み切った理由として、小保方氏の代理人である三木秀夫弁護士は、「STAP細胞の存在について検証するための実験に参加するため」であるとしながらも、「(周囲からの)様々な精神的圧力を受け続けていることから判断能力が低下」していて(共著者から申し出られた)「撤回に同意せざるを得ない精神状態だった」とも述べている。この「精神的圧力」の中にはネットリンチも含まれていたのかもしれないが、それはあくまで撤回の背景のひとつとされていたのである。
それに比べると今回の佐野氏や周辺は、全面的にネットリンチを撤回の理由にしようとしているように見える。さらに武藤氏や永井氏はそれを「一般の国民に理解を得られない」と、「わかる人にはわかるが、一般人には理解困難だから彼らはネットリンチに走るのだ」と取られても仕方ないような、いわゆる“上から目線”的な言い方で表現した。
私は昨年、小保方氏に関して本人にはたいへん失礼な話だが、おそらく自己愛性パーソナリティ障害なのではないかと説明した。もう一度、その診断基準を世界で使われているガイドライン「DSM-5」からあげておこう。
<自己愛性パーソナリティ障害>
誇大性(空想、または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
次のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
1.自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が特別であり、独特であり、ほかの特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賞賛を求める。
5.特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6.対人関係で相手を不当に利用する。つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で倣慢な行動または態度。
ここで再び小保方氏に関する説明はしないが、佐野氏や委員会の言動から「この人たちも“限りない成功”“特権意識”が当然と思っているのだからこれじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし、それは違う。冒頭で述べたように、たしかに佐野氏らには“自己愛的なニオイ”がプンプンする。これまた失礼を承知で言えば、かなりの自己愛人間たちと言ってもよいかもしれない。
ただ、「自己愛人間」と「自己愛性パーソナリティ障害」はまったくと言ってよいほど異なっている。
自己愛性パーソナリティ障害とは、臨床のレベルで言えば、ほとんど妄想に近いようなファンタジーを確信している人たちのことを指す。
小保方氏の記者会見を見て、「この人はウソをついていない。STAP細胞は本当にあるんだ!」と擁護した人がかなりいた。それは半分あたっていると思う。小保方氏は本当に「STAP細胞はある。私が見つけた」と思い込んでいるので、決してウソはついていないのだ。
というより、彼女はもっと若い頃から「私は人類を救う使命を担わされた人間」という誇大な幻想を信じ込みながら、「どうやって救うのか」という手段のほうはわからないまま、ずっと探していたのだと思う。そして、STAP細胞という概念を知ったとき、「これだ! これこそ私に発見されるために存在しているもの」と確信したのだろう。「私が発見した」というのはすでに事実として彼女の中にあるので、あとはプロセスをショートカットしてそこにたどり着くだけだ。ねつ造、改ざんとされたものも、彼女にとってはそれほど決定的な問題とは思えなかったに違いない。
それに対して今回の佐野氏や周辺は、「オレたちは特別」「一般国民とは違う」「無名デザイナーの作品と似ていたからといってそれがどうしたの?」という態度が見え見えで、限りなく尊大、傲慢、特権意識丸出しつまり自己愛的ではあるが、「オリンピックは私を讃えるために開かれる祭典」などと確信していたわけではなかったと思われる。逆に言えば、だからこそネットリンチ的な状況が生まれたときに、すぐに「もう耐えられない」と取り下げを願い出て、委員会もそれを受け入れたわけだ。
そういう意味で、今回の登場人物には誰も自己愛性パーソナリティ障害とまで言える人はいない、と考えられる。私自身、精神科医としてこの問題にいまひとつ食指が動かなかったのはそのせいなのだろう。
だいたい今回のエンブレムやその前の新国立競技場をめぐる一連の問題は、あまりにも世俗的な話すぎる。大きな利権があって、それをめぐる政・官、財界、スポーツ界、広告代理店業界などをめぐるコネクションが存在し、密室ですべてが決まっていく。「一般国民」は、そのおこぼれとして競技を見に行ったりテレビで観覧したりして「ありがたい」と思うだけだ。
誰もがうすうす気づいていたことではあったが、このゴタゴタでその構図がはっきり見えてしまったわけだ。
この6月、自民党衆院議員の遠藤利明氏がオリンピック大臣に就任したとき、記者会見で「できるだけ被災地でも開催できるようにしたい。被災地の皆さんに(大会へ)参加してもらうことが大事」と、このオリンピックには震災復興の意味も込められていることを強調したが、今となってはそんなことを信じる「一般国民」がどこにいるだろう。
もう本当にオリンピック開催自体を一回、白紙撤回するか、運営主体をNPOにでも移して、たとえ規模は小さくなったとしても、なるべく利権を排除して誰もが身近に感じられるようなイベントとして出直すべきなのではないか、と思う。
安保関連法案に反対する学生組織SEALDsの集会ではよく、「国民」「なめんな!」「国民」「なめんな!」というかけ合い式のシュプレヒコールが行われるが、ここはオリンピック利権のまわりにいる「オレが特別扱いされるのは当然」と信じて疑わない自己愛人間たちにあえてこう言いたい。
「一般」「なめんな!」「一般」「なめんな!」
それこそ参院での安保法案の採決も近いとされる大切な時期に、まったくしょうもない問題が起きたものである。
文/香山リカ
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