渡辺浩弐の日々是コージ中
第277回
9月15日「さようなら恐竜館」
・西武球場近くにある『ユネスコ村・大恐竜探検館』がまもなく(9月30日)営業休止となる。首都圏在住者でも行ったことのない人の方が多いようなマイナー施設だが、僕はここに多分100回、いや200回は通っている。
・もともとはその名の通りユネスコの理念のもと、世界各国の民家を再現してずらりと並べた遊園地というか巨大な公園といった感じの場所だった。小中学生の遠足やスケッチ大会によく使われていたが、国によっては掘っ立て小屋や竪穴式住居のような家もあって、現在ではきっと「政治的に正しくない」とされるような企画だった。大阪万博のマレーシア館がそのままここに移設されてきたせいでそこだけものすごく立派で、マレーシアの人は超金持ちなんだと刷り込まれた子供も多かったようだ。
・1990年代に入るとそれらはいったん全て取り壊されたが、1993年、「大恐竜探検館」が完成、これを売りにして周囲のメリーゴーランド(メリーゴーラウンドじゃなくてメリーゴーランドだ)や展望塔と一緒に再オープンとなった。
・大恐竜館は、恐竜を原寸大で再現したライドである。船に乗って、生物の進化プロセスを時代に沿って進みつつ見る。まず暗闇に光る原生動物の群の中を通り抜け、古生代の海底に出る。原始生物のウミユリ、サンゴ、そして三葉虫やアンモナイトに続いてディニクチスやシーラカンスといった魚類が現れる。水面に浮上し、周囲は明るくなっていく。魚類から両生類、さらには爬虫類へ。遂に恐竜が出現してからがメイン。彼らが巨大化や複雑化を成し、栄え、そして滅びるところまでを、そこで実景として体験できるのである。中生代の、湿地帯や渓谷や草原、あるいはジャングル。個性豊かな恐竜たちはそれぞれ特有の場所で特有の動きをしている。子育てをしたり、ケンカをしたり、獲物を襲ったり。その様子を見ているだけではなく水しぶきを浴びたり直にその肌に触ったりできるところもある。
・ただし1993年っていうとディズニーランドですらもう開業10周年になろうかという時期である。このライド一個で所沢の山奥に人を呼ぼうったってそりゃ無理な話で、翌年にはもう閑散としてしまっていた。しかしそのうらぶれ方がとても気楽だった。休日に行ってもがら空きで、いつでもほとんど待つことなく入れた。フリーパスもあるので、行くたびに10回は乗っていた。ディズニーランドで2時間待ちの列に並んだりした時、2時間あればこれから所沢まで行って恐竜館に入れるなあ、なんて考えたりした。
・僕は「ロボット」フェチだ。ここの恐竜達の製作元であるココロという会社に伺って、その内部構造……つまり表皮を剥いだ状態の恐竜達を見せてもらったこともある。関節と筋肉が大小様々な形状のギアとモーターに置き換えられた構造が緻密に複雑に連動する様は本当に美しくまた力強かった。ハイテクは90年代から主に電子の世界に入っていき、目に見えないものになっていってしまった。その直前、肉眼で見られる、生身で触れられる技術の最終形がそこにあったのである。
・いやそれだけではない。ここにハマったのは、僕の原体験の一つである大阪万博「太陽の塔」の記憶を喚起してくれたからかもしれない。万博会場にそびえ立つ、高さ70メートルの、芸術爆発モニュメント。内部の空洞部分を貫いて生えている「生命の樹」を螺旋状にエスカレーターで上昇していくものだった。ここでも生物を進化を、その道筋をたどる形で様々な造形やロボットで見た。混沌の世界から、原生動物、そして魚類、両生類……と、進化の枝分かれのたびにエスカレーターの角度が変化し、それはやはり巨大恐竜の世界に進む。1970年当時の技術の粋を集めて作られた恐竜たちが咆吼し暴れていた。それは本当にわくわくする体験だった。あれが、まさにこの恐竜館の原形だったのだ。1970年の記憶を、ここのおかげで僕はかなりリアルに維持することができていた。
・閉鎖が決まってからは大がかりな修理もままならないのだろうか、恐竜の表皮は劣化し、稼働にもガタがきている。エダフォザウルスの背びれはひび割れ、アパトサウルスの塗装は剥げている。プテラノドンは舞い上がるたびにがくがくと、今にも墜落しそうに揺れる。ティラノザウルスの吼え声が時々鳴らなくなってしまっていることにも僕は気付いている。それでも行くたびに大満足だ。恐竜は滅びの予感いや予定を内包しているから美しい。それはとても大きくて、アナログで、不格好で不器用で、だからこそ、胸にずんと来るのである。