乳がんステージⅣと戦う女子プロレスラー亜利弥’「試合後、がんが小さくなったんです」
昨年12月9日、ファースト・オン・ステージが主催する「超花火プロレス」の会場で記者会見。その年の2月2日に乳がんを告知され、現在の進行度合いは「ステージⅣ」であることを告白した女子プロレスラーの亜利弥’(42歳・フリー)。デビュー20周年を迎えた今年1月8日、地元和歌山で小中学校時代の同級生だったプロレスラー・田中将斗(ZERO1)らの協力を得て、「亜利弥’デビュー20周年記念大会 To Live~Wonderful Friends~」を開催した。
――試合が終わって10日ほど経ちましたが、現在の体調はいかがですか?
亜利弥’:疲れが抜けない……ですね。たった10分の試合でしたが、大きく疲労感があります。薬の副作用なのか、がんそのものから来るのかはわかりませんが……。骨、リンパにも転移しているので、痛みは常にあるんです。足の指をタンスに思いっきりぶつけたときのような痛みが、体の節々にあるって感じです。
ただ、ちょうど昨日、サードオピニオンを受けたんです。両肺にもがんが転移しているんですけど、試合後、初めて数値が下がって。(携帯画面に保存した2枚のレントゲン写真を見せながら)この白い部分ががん細胞ですが明らかに小さくなっています。試合が決まってから、「リングの上で死んだらどうしよう。すべての人に迷惑をかけてしまう」と毎日不安でした。が、無事、興行を終えることができたうえに、多くの人たちから本気の優しさや励ましをいただき、奇跡のような一夜を過ごすことができました。泣いたり笑ったりたいへんでしたけど、「楽しい」って感情が、プラスに作用したんだと思っています。
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――「桜が散るまでもたない」と医師から宣告されたと聞きました。試合当日もそうでしたが、いまこうして優しい口調で話す亜利弥’選手を見ていると、常に笑顔で悲壮感が感じられません。ものすごい心の強さだと思います。
亜利弥’:もちろん怖いですけど達観しているわけではありません。そもそも、「死ぬ」ってことがどういうものだか想像もつかない。想像できないことを考えて、ただ医師の言うとおり安静にして、自粛しているだけでは何も変化がないし前に進まないんです。たとえば、いま私は化粧をしているんですけど、がんを告知される前はレスラースタイルで、いつもすっぴんでした。病人に見られるのが嫌で化粧を始めて、意識して女性らしい服装をするようになりましたが、これも一つの前向きな変化ですよね。がんになったことで、これまでもプロレス中心の人生でしたが、より一層、その密度が濃くなったというか。治療、投薬にしても、ぎりぎり練習できる/試合に出れるレベルを維持できることを意識するようになりました。毎日、がんに関する情報を集めて、効果がありそうなことを一つずつ試している最中です。
――当初は、抗がん剤治療も拒否されたそうですね。
亜利弥’:親が抗がん剤治療の副作用で病状を悪化させたことも理由の一つですが、抗がん剤は免疫を下げてしまう。免疫が下がると正常な細胞まで殺してしまうので、プロレスラーとしての体作りに弊害が出ます。ただ、これもいろんな方が相談に乗ってくれて、今は副作用で髪が抜けることのない薬もあるそうです。プロレスに悪影響の出ない薬も見つけていきたいですね。
もちろん、常に前向きにがんと戦っているわけではない。周囲の何気ない言葉や態度に、激しく感情を高ぶらせることもある。試合当日、全身浮腫でパンパンに膨れた顔を見て、昨年彼女がトライしていたスピリチュアル治療の人たちが「丸々太って元気そうね~!」と言ってきたが、それに対して苛立ちを露わにする。
亜利弥’:そもそもの始まりは、がんを告知された前年に受けた乳がん検診で、胸のしこりを「試合、練習でできた内出血、打ち身のようなもの。異常なしです」と誤診されたことからでした。それと同じで「全身癌が治せる!」と謳っている人間が浮腫も見分けられない。気付かない言葉の暴力は本当に辛いです。あと、ファンの方が口にすることには絶対的な温度差があって……。毎日が不安で、一度、治療法を調べ始めたら止まらなくなって、定期検診では数値の悪化や転移に怯える――がんに罹患した人にしかわからない感情があるのに、ちょっとうまいことを言うような感じで応援メッセージを送る。その方は「陰ながら応援したいから」って後付けでコメントするんですけど、その「陰ながら」って言葉に……。陰ながらエールをもらうより、実際に会場に来て試合を応援してもらうほうがよっぽど励みになりますから。
――当事者だけが感じる、がんの理不尽さに立ち入ってほしくないと。
亜利弥’:もちろん、励ましの言葉をいただくこと自体は本当に嬉しいしありがたいです。ただ、結局は自分ひとりの戦いでもありますから。だから私は病気と思われるのは嫌だし弱音も吐きたくない。体力の低下は隠せないし痛みもあるけど、トレーニングも継続します。相談する相手だって自分で選ぶし、目標も自分で決めていきます。そう、“目標”ですね。当面の目標は、またリングの上に立つことです。「桜を見れたぞ、生きてます興行」、絶対に実現してみせます。先日の試合後に数値が下がったのと同様、プロレスのリングに上がるたびにがんを縮小させて、生きてみせます。
1月の試合、北斗晶から送られた手紙にはこんな台詞が書かれていた。
〈やられても、やられても立ち上がる、その凄さを見せられるのが最高のプロレスラーだと。これは人生においてもそうではないでしょうか。(中略)亜利弥選手の本当の敵は体の中の癌ですよ。そちらもプロレス同様に必ず叩きのめしてください。私も必ず癌を叩きのめします〉
物心ついたときから、プロレスラーになることが目標だった。タイガーマスクの四次元殺法に夢を見て、悪役に立ち向かうクラッシュギャルズの勇気に胸を焦がした。私も多くの人に力を与えられる存在になりたい――高校生になり、各団体に履歴書を送り続けた。そのなかには大仁田厚が旗揚げしたばかりのFMWもあったが、奇しくも、がんになったことで大仁田とタッグを組むことも実現した。
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1034639<亜利弥’デビュー20周年記念大会 To Live~Wonderful Friends~>
目標に向かって邁進していくことを軸にこれまで生きてきたし、それは今も変わらない。目標を一つずつ実現していくことが彼女のこれからの戦いであり、楽しみでもある。「乳がんを克服して、100%の状態で復帰する」――強い気持ちが必ず叶うことを信じてやまない。
【亜利弥’】
ありや、1973年和歌山県生まれ。本名は小山亜矢。96年4月14日、吉本女子プロレスJd’旗揚げ戦・六本木ヴェルファーレ大会、対阿部幸江戦でデビュー。Jd’、大日本プロレス、LLPW、Jd’を経て現在はフリー。プロレスのみならず、総合格闘技、キックボクシング、ボクシングでも活動。
<取材・文/スギナミ 撮影/丸山剛史>
「人と肩が当たっただけで骨折する状態」という医師の制止を振り切り、メインイベントの6人タッグマッチに出場。大仁田厚とタッグを組んでのデスマッチ、レジェンド・長与千種の登場、そして同じく乳がんを患った北斗晶からの手紙と、数々のサプライズがあった本大会。「普段の30%しか力を出せない状態。でも、今できるMAXのファイトをやるだけ」と語るとおり、喜怒哀楽のすべてをリングの上にぶつけた亜利弥’。「今日は本当に胸いっぱいのプロレスができました。本当にありがとうございました。絶対、帰ってきます」と決意を口にした彼女を、試合後、改めて直撃した。
「楽しい」がプラスに作用した
何気ない言葉に苛立ちも
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