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香山リカが「沖縄差別」を考えるため高江に向かった【前編】



◆2日目

 抗議の人たちは朝4時すぎから現地に集合して行動を開始するのだが、この日はこちらのクルマの都合などで9時にゆっくり出発。高江に着いたのは10時すぎ。

 ただ「高江に着いた」と言っても駅があって駅前に商店街があり、その奥は住宅地……という場所ではなく、うっそうと茂る木や草、パイナップル畑などのあいだに家や学校が点在していて、かろうじて「山の駅」と「共同売店」があり小中学校も見えるので「ここが高江か」と気づく感じ。

 そして、あたりまえの話だがヘリパッドの建設工事は米軍のフェンスの向こう、広大な北部訓練場の中で行われているわけだから、そこに市民がタッチすることはできない。しかも北部訓練場は「山原(やんばる)」と呼ばれる原生林をそのまま使用しているので、「あーあそこでヘリパッドを作ってる」などとフェンス越しに見えるわけでもない。

 だから、建設への抗議運動といっても、できる場所、できるところは本当に限られているのだ。

 具体的には、工事用の資材が運ばれたり作業員が出入りしたりする、いくつかのゲートの前やそこから離れた市民が拠点としているテントなどでの行動だ。ニュースや新聞で「おじぃ」「おばぁ」と呼ばれる地元住民が工事関係車両を阻止しようとして座り込んでいる映像が取り上げられることがあるが、それは主に「N1地区ゲート」と呼ばれるゲートの前だ。そして、そこからさらにクルマ一台が通るのがやっとの狭い旧林道を山の中に向かって進んだ先に、8月6日には安倍昭恵総理婦人も突如、訪れたという「N1裏テント」がある。これは抗議の住民たちが拠点として急ごしらえで建てたものだが、煮炊きができる設備もあり、山の斜面を利用した集会所(写真2)は、100人以上の人がラクに座れる広さ。

(写真2)抗議活動をする人々がつくった拠点のひとつ

 ただ、私が訪れたときは抗議活動のリーダー・山城博治さんらはこのテントにはいなかった。「もっと上にいる」とテントにいた人から聞いてさらに細い道にクルマを進めると、別のゲートの前で20人ほどが何かの作業をしていて、山城さんらもそこにいた。「いま取り込み中で」ということでほとんど話はできなかったが、「N1裏テント」を強制撤去するという情報があるようで、もしもの場合に備えてこのあたりもテントを立てようとしているのだろうか。

 このように、高江の抗議ポイントは「国会前」などのように目印があるわけではなく、演習場を取り囲む形でいくつかのゲートやその間に分散している。しかも、その間は農道、旧林道などで隔てられており、徒歩での移動はほとんど不可能だ。また、もともと人が集ったりクルマを停めたりするための場所ではないので、まさに道なき道を進み、場所なき場所を切り拓く、という感じ。以前から休暇を取っては抗議活動に参加しているという男性は、こう語ってくれた。

「ここでできることといえば、朝、作業員たちや砂利を積んだトラックが建設現場に入るのを阻止することですが、もちろん、完全に阻止して追い返すことなどできないから、5分でも10分でも遅らせること。それでもチリも積もれば山となるで月単位で見ると全体の行程をかなりズラしていることになると思う。

 そうやって時間稼ぎをしているうちに、もっと全国のマスコミが注目してくれて、日本中の人が『たいへんなことが沖縄で起きている』と気づいてくれないか、と思ってます」

 この日はすでに砂利運搬のトラックは住民の抵抗むなしく建設現場に入ってしまった、ということで、私も午後2時ころには現場を離れることに。

 その後、宿泊している屋我地島にある元ハンセン病施設の国立療養所沖縄愛楽園に行き、資料館や施設内の遺構などを見学した。

 それはそれでかなり衝撃的な体験だったのだが、そのことはまた別の機会にじっくり書くことにしよう。

 そして、いっしょに行動している友人から「明日は朝3時半には出発します」と言われ、9時すぎには早々にベッドに入ったのだが、次の日に待ちかまえていた恐ろしいできごとを予感していたのか、私はなかなか寝つくことができなかったのである……。(続く)

文・写真提供/香山リカ

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