更新日:2016年11月04日 17:24
スポーツ

“寸止め”空手の五輪種目決定を“フルコンタクト”側はどう思っているのか? 伝説の極真元世界チャンピオンに聞く

レスリングもグレコローマンとフリースタイルの二つのルールが存在

 人類最古のスポーツともいわれるレスリングも、上半身のみの攻防が許されているグレコローマンと、全身を使って競い合うフリースタイルの二つのルールが存在します。それぞれの発祥の歴史は諸説あるようですが、最初にグレコローマンが欧州で広まり、イギリス、アメリカへ渡ったあとにフリースタイルが生まれたと一般的には伝えられています。国によってはグレコローマンだけしか取り組んでいないところもあるようです。素人目には同じようなルールに見えても、競技者からすれば野球とソフトボールほどの違いがあるのかもしれませんが、どちらかに統合されることなくレスリングの枠の中で共存しています。

空手のルールはなぜ二つになったのか?

 では、なぜ空手に二つの競技か生まれたのか、ここでは歴史を紐解きながら説明をしていきましょう。空手は、かつて琉球王国であった沖縄県において古くから伝わっていた格闘技「手」(ティー)が、中国から伝わった拳法の影響を受けて独自の発展を遂げてできた武道です。空手は、大正時代末から全国に普及していきました。同時に組手手法の研究も行われていきましたが、当初は、ただ当て合う闘いが主流で、安全面をはじめ多くの問題点を抱えていたようです。安全面と実戦性、この二つの要素は本質的に表裏一体ですが、いかにバランスを取るかが重要でもありました。  実戦に近く、なおかつ安全に闘うための研究が進められる中、昭和29(1954)年に錬武会全日本大会が開催されました。同大会は安全面を考慮するために防具を着用し、直接当てるルールを採用しました。しかし、防具をつけた状態での組手は動きに制限があるため、可能な限り素手素面に近い状態で組手をしたいという流れが生まれてきました。昭和32年には日本空手協会が全日本大会で、攻撃者が攻撃部位に当たる寸前または軽度の接触で技をコントロールするという、いわゆる「寸止め」ルールを採用しました。  大きな転機となったのは、昭和44(1969)年です。昭和40年に大山倍達総裁が創設した極真会館が、防具を着用せずに素手・素足で自由に攻撃できる独自のフルコンタクト(直接打撃制)ルールを採用した全日本大会を9月に開催して、成功に導きました。防具を用いず致命的急所以外を自由に打ち合い、体力鍛錬を重視し強い肉体を作る。これが実戦性と安全面が無理なく自然な形で絶妙なバランスをとるための最良の選択だと考えられたのです。その3カ月後の12月には、現在のWKFの母体となる全日本空手道連盟(JKF)が寸止めによるポイント制ルールを取り入れた全日本空手道選手権大会を開きました。  ここに、まったく異なる二つの競技が新しい歴史のスタートを切りました。“当てる”“当てない”の発想から同時期に生まれた二つの競技が、大きなターニングポイントを経て現在の二大潮流になっていったのです。  フルコンタクト空手は決して新興のルールを採用したわけではありません。WKFルールと同じように、フルコンタクトルールも約半世紀の歴史があるのです。むしろWKFの母体団体である全日本空手道連盟よりも先にフルコンタクト制の全日本大会を開催していたことは、あまり知られていない事実かもしれません。  フルコンタクトルールとWKFルールは、レスリングのグレコローマンとフリースタイルのようにルールが違う以上、競技として統合されることはないでしょう。しかし、空手もレスリングと同様に、同じ枠の中で二つのルールで共存していけるはずです。 【緑健児(みどり・けんじ)】 昭和37(1962)年生まれ。鹿児島県奄美大島出身。国際空手道連盟極真会館に入門し、軽量級選手として活躍。165cm、70kgの体格ながら、日本代表選手として出場した第5回世界大会では軽量級選手として史上初の無差別級王者となった。現役引退後は故郷・奄美大島と福岡県で後進の指導に当たる。また組織活動にも精力的に努め、NPO法人全世界空手道連盟新極真会代表として、現在、世界94カ国の新極真会を統括。骨髄バンクチャリティーや献血など社会貢献にも力を注いでいる。 ●「国内無差別級最強」の称号をかけた「第48回全日本空手道選手権大会」が10月22日(土)・23日(日)、聖地・東京体育館で開催! 取材・文/育鵬社・山下徹
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