自称・天才の音楽家は全裸で泣いた――爪切男のタクシー×ハンター【第三十一話】
仕事帰り、俳優の渡辺いっけいによく似たタクシー運転手に、一方的に悩みを打ち明けた。
「一緒に住んでいる彼女が音楽をやってるんです」
「へぇ……いいじゃないですか」
「でもよく分からない変な音楽をしてるんですよ」
「バンドやってるんですか?」
「一人でやってますね。でも一番困ったのは音楽で売れようって気もないみたいなんですよ」
「じゃあ、趣味でやってるんですか?」
「どうなんですかね、そこはよく分かりません」
「聞かないんですか?」
「それを聞いたら、彼女を傷つけちゃいそうな気がして」
「……なぜですか」
「彼女、病気で満足に働けない状態なんです。そんな中で唯一自分の楽しめるものとして音楽をやってるんです」
「あぁ……」
「だからきつく言えないんですよね」
「難しい状態ですね……」
「はい……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「私は昔劇団をやってたんですよ」
「そうなんですか?」
「全然売れなかったですけどね。でも楽しかったです。劇団員ってお金は無いけど女には結構不自由もしないんですよ」
「へぇ~」
「世の中ではバンドをやってる男はダメ男って言われてますけど、負けないぐらい劇団員の男もひどいですよ」
「ははは」
「まぁ色々ありまして劇団をたたんじゃったんですけどね。一ヶ月ぐらいは悲しかったし、なんのやる気も起きませんでした」
「……はい」
「でも、しばらくしたら演劇がなくても全然平気な生活を送れてたんですよ。不思議でした、あんなに演劇が好きだと思ってたのに」
「……」
「自分が大事だと思ってるものは思い込みかもしれないです。一度それを本気で捨てようとしてみるといいと思います」
「……」
「捨ててみて平気なら、それは自分にとってはそんなに大切なものじゃないですよ」
「……」
「今、俳優として成功している人ってのは才能があるとかだけじゃないと思います。どうしても演じることを捨てられない人達が成功してるんですよ」
「すごくためになりました」
「そうですか? 本屋で売ってる本に書いてそうな話ですよ?」
「本で読むのより、実際に経験した方に言葉で言われたほうが響きますから」
「そう言ってもらえてうれしいです」
自宅に戻り、玄関の前で深呼吸をする。これから私は彼女に自分の気持ちを素直に打ち明ける。本当の意味で、彼女と、彼女の作る音楽と向き合うことにした。私は伝えないといけないことがたくさんある。
「お前のやってる音楽はよく分からない」
「たまに俺のご機嫌をうかがったような俺の好きな曲調で曲を作るな」
「本当に自分の為に音楽をやりなさい」
「もう音楽なんてやめちまえ」
頭の中には彼女に対してのひどい言葉が渦巻いている。その言葉を言われた時の彼女の悲しそうな顔を想像すると胸が痛い。もしかしたら自殺未遂とかをするかもしれない。でも今の状況だって二人して死んでいるようなものだ。今から一度一緒に全てを捨ててみよう。私のわがままだけど。私は玄関を開けた。
数時間後、部屋の中は窓ガラスが割れ、パソコンはひっくり返っていた。彼女が投げた灰皿が頭に当たり、私は額から軽く血を流していた。彼女はほぼ全裸に近い状態で布団に顔をうずめて泣いている。半日ほどそのまま無言で過ごした後、彼女は言った。
「私、音楽やめないから」
私以外の誰かに自分の曲を聴かせるとか、ライブ活動をするとかそんな具体的な言葉はなかった。でもその「やめないから」という力強い言葉と彼女の眼の輝きはいつもと違っていた。
運転手の言葉は正しかった。彼女は音楽を捨てようとして捨てられなかった。そして私は彼女を捨てようとして捨てられなかった。今日が新しい生活のはじまりだ。
「よし、松屋行こう」
新しい門出は松屋から。私達にはそれがお似合いだからだ。
文/爪 切男’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu
※さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた当連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築した青春私小説『死にたい夜にかぎって』が好評発売中
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