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仏教に「清めの塩」の文化はない!? そもそもなぜお葬式に塩は必要なのか

なぜお葬式には塩が必要なのか?

 日本人は人の死に恐怖を感じ、忌むべきものとして嫌ってきました。そして人の死を穢(けが)れの一つとしてとらえ、その穢れを清める方法を生み出してきたのです。  その一つが塩を使うという方法です。  お葬式に参列された経験のある方なら御存じだと思いますが、お葬式ではお礼状や返礼品と一緒に「清め塩」というものを渡されることが多いです。  これは粉薬の分包のような小さな袋に塩を入れたものです。  それを自宅に帰る前に、封を切って体にふりかけたり、地面にまいて踏んだりするわけです。ちなみにふりかける方法は服の繊維を傷める可能性があるので、その地域の作法で決まっているのでない限り、踏む方法をお勧めします。  日本の葬儀の約8割は仏教形式で、帰りに塩をもらうことが一般化しているのですが、この塩で穢れを清めるという習慣はそもそも神道の作法でした。神道は穢れを非常に意識します。そのため神道のお葬式の場合、神社によっては棺を霊柩車に納める直前に霊柩車のお祓いをしたり、火葬炉にお棺を納める際に火葬炉のお祓いをしたりすることもあるくらいです。  そして、神道の塩で清めるという方法が、仏教に伝播したのだと言われています。  つまり元々仏教には塩で清めるという発想はなかったのです。その証拠に日本で最も信者が多いと言われる浄土真宗では、人の死は穢れではないので塩は不要という姿勢を取っています。  そのため私は浄土真宗のお葬式の場合、開式前の説明の時に、今日は浄土真宗のお葬式なので塩は配りません、ということをちゃんと説明します。そう言わないと後から塩をもらえなかった、というクレームが参列者から入るからです。  日頃は科学的・合理的に振る舞う人も、お葬式の時は生理的にやっぱり塩がほしいと思ってしまうことが多いようです。  この人の死を穢れと感じる感覚は、人の死を扱う葬祭業者への差別と根っこではつながっています。そのためこの感覚が薄れていって欲しいと思う反面、穢れを清めたいという気持ちがお葬式を行うモチベーションになっている側面もあるというのが悩ましいところです。 【赤城啓昭】 月間45万PVの「考える葬儀屋さんのブログ」管理人。現役の葬儀屋で、1000件以上の葬儀を担当。お葬式の担当のかたわら、葬儀業界のマーケティング分析、セミナー・企業研修・大学・専門学校での講演活動、エンディングノートの制作なども行う。ブログの内容をもとに、新たに約7割を書き下ろした初の著書『子供に迷惑をかけないお葬式の教科書』が7月2日より全国順次発売 <文/赤城啓昭>
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