ブルーザー・ブロディ 超獣革命は“天国への階段”だったのか――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第50話>
ゴンザレスがブロディを呼び止め、ふたりはシャワールームに消えていった。それから数秒後、惨劇が起きた。
ライブショーは予定どおりにおこなわれ、ゴンザレスも試合に出場した。
救急車で病院に運ばれたブロディは、同夜未明、手術中に帰らぬ人となった。
ゴンザレスは翌日、殺人未遂と銃刀法違反の疑いで逮捕されたが、翌1989年1月の裁判では罪状が第一級殺人罪から業務上過失致死に軽減されたうえ、弁護側の正当防衛の主張が認められて無罪となった。
事件当日、スタジアム内にいたアメリカ人レスラーは翌日にはほぼ全員、プエルトリコから出国。半年後にようやくおこなわれた裁判ではだれも証人として出廷することはなかった。事件の真相は闇から闇へと葬り去られたのだった。
――全日本プロレスが主催したブロディ追悼興行“ブルーザー・ブロディ・メモリアルナイト”(1988年=昭和63年8月29日、東京・日本武道館)にはバーバラ夫人、長男ジェフリーくんが来日。多くのファンが献花を捧げた。
バーバラ夫人は現在、フロリダ在住。当時7歳だったジェフリーは37歳になっている。
●PROFILE:ブルーザー・ブロディBruiser Brody
1946年6月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。ミシガン州デトロイト郊外ウォーレンで少年時代を過ごす。本名フランク・ドナルド・グディッシュ。プロ・フットボールで活躍後、1973年にオクラホマでデビュー。得意技はキングコング・ニードロップ。1988年7月16日、プエルトリコの試合会場で刺殺された。享年42。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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