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「安倍晋三は100点か0点か」答えのない議論に支配される世の中

現在、言論界を支配する絶対に不正解の両極端な二者択一とは?

倉山満の言論ストロングスタイル

「安倍晋三は100点か0点か」という極端な二択が世間にはびこっている。そんな“安倍100点派”と“安倍0点派”のいざこざに巻き込まれるのはごめんだ(写真/時事通信社)

 詐欺師の手口を一つ教えよう。正解を含まない二者択一を迫ることだ。  たとえば、「インフレか、デフレか」のように。このような脅迫的な質問をされたら、経済学などマトモに勉強していない普通の人は騙されるだろう。そして詐欺師は、「アベノミクスを続ければインフレになる!」のような煽り方もするだろう。かくして圧倒的多数の普通の人はミスリードされる。  では、質問を変えよう。「熱病と凍死、どちらがよいか?」と聞かれたらどうか。どちらもダメに決まっている。「インフレかデフレか」という強迫的な質問は、「熱病と凍死」の二者択一と同じなのである。人体にも常温があるように、経済にも適正状態がある。マイルドインフレが常温で、悪性インフレが熱病、デフレが凍死なのである。  戦前戦中も、このような二者択一は存在した。「親英米か、反英米か」である。この場合の「親英米」とは「アングロサクソンの靴の裏を舐めれば日本人は永遠に幸せである」と「鬼畜米英」の二つの極論だった。大正デモクラシー期は前者の風潮が支配的だったので、その反発として戦時中は後者が主流となった。結果、日本と英米が潰しあいをしてくれたおかげで、三国の共通の敵だったソ連は大喜びとなった。「親英米か反英米か」という議論では、決して「ソ連」という単語は聞こえてこなかった。むしろソ連の脅威を隠すために「親英米か反英米か」の二択を煽り続けていた勢力があったとしか説明がつかないのだ。  そして、現在の言論界も二つの極端な議論に支配されている。「安倍政権支持か安倍政権不支持か」である。「安倍晋三は100点か0点か」と言い換えてもよい。そもそも、人間の評価に100点も0点もあるはずがない。1~99点の膨大な中間地帯の中に正解があるものであって、両極端な二択だけは絶対に不正解のはずだ。また、いくら長期政権と化している総理大臣であっても、一人の人間の是非のみが言論の基軸となるなど異常である。  だが、残念ながら、「全肯定と全否定」でしか考えられない人々が多数で、個別具体的に是々非々で考えられる言論人や言論機関が極めて少数なのが現実である。  ある時、私はある場所で自民党改憲案を徹底的に批判する講演を行ったことがある。すると何を聞きつけたか、護憲派の新聞が取材に来た。何やら自分の味方だと勘違いしたらしい。私は護憲派など論外であるとの前提で、今の改憲派の間違いを正しただけである。これとて、安倍自民党改憲案を全面支持するか全否定の不支持であるかの二択の発想である。自民党改憲案にも百のうち二つくらいはマトモな部分もあるし、護憲派だって三分の理くらいはあるだろうに。  読者諸氏は、もはや覚えていないかもしれないが、悲惨だったのが集団的自衛権の議論だ。“安倍0点派”は「これまで内閣法制局が一貫して守ってきた憲法解釈を変えるな!」と叫び、“安倍100点派”は「~を変えるぞ!」と応酬する。あの時、 「おまえ(倉山)は、どちらの味方なのだ?」と保守を自称する連中から散々迫られたが、バカバカしくて発言する気にならなかった。  なぜならば、両者の「これまで内閣法制局が一貫して守ってきた憲法解釈」という前提自体が間違いだからだ。そもそも日米安保条約が集団的自衛権を行使するための条約であり、基地提供や資金援助は集団的自衛権の行使そのものである。在日米軍基地が日本国に存在する以上、日本はとっくにアメリカの戦争に参加しているのだ。朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争やイラク戦争において、日本は中立国でも何でもなく、交戦国である。つまり安倍支持派も不支持派も、「憲法解釈を一貫して守ってきた」などという内閣法制局の大嘘に騙されている時点で同じ穴のムジナなのである。「頭が悪い」という意味において。
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内閣法制局の大嘘に騙される「右下」と「左下」
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嘘だらけの日独近現代史

世界大戦に二度も負けたのに、なぜドイツは立ち直れたのか?

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