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新元号「令和」の発表会見へのモヤモヤ/鴻上尚史

― 連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―

令和

首相官邸Instagramより

新元号の発表会見へのモヤモヤ


 新元号が発表になりましたなあ。

 演劇人なので、菅官房長官が「新しい元号は、令和であります」と言ってから、文字を見せるという二段階の提示の仕方にモヤモヤしました。

 驚きや感動を重視するのなら、「新しい元号は」と言った後、額縁を手に持って、「令和であります」と言いながら見せて欲しいと思ってしまいます。

 表現のプロを自認する人達は、どうやったら表現が拡散しないで、凝縮して伝えられるか、ということをずっと考えてますからねえ。

 ということを、ツイッターでつぶやいたら、「令和という文字を同時に見せたら、シャッター音で言葉が聞こえなくなる」という反論(?)がありました。

 はい、ですから、「令和であります」の「ます」ぐらいで額縁の文字を見せるタイミングがベストです。

「令和で」の「れ」で見せるか、「あります」の「す」で見せるか、どっちがいいかまで、通常、表現のプロは考えます。

 僕もよく俳優さんに向かって、「その言い方、あと0.2秒、つめてくれませんか?」なんて言います。
映像ならまだしも、演劇でそんなことを言われる俳優さんは、自分で言いながら、大変だと思います。映像だと、編集マンが0.2秒、つまんでくれますからね。それを、リアルタイムの生身でやんないといけないわけです。

 2013年、東京オリンピックの発表の時は、国際オリンピック委員会のロゲ会長が、「トウキョ」と言いながら、同時に「TOKYO 2020」の文字を見せました。当然、感動というか驚きというかインパクトは大きくなりました。

 なんだかね、「表現」に対するこだわりが、国民的レベルで違うんじゃないかという気がするのです。

 だって、日本では偉い人のスピーチで表現に感動したことが本当に少ないんですよ。みんな、淡々と「真面目な内容を読む」だけですから。

 でもね、欧米で卒業式とか会議とかのスピーチを聞くと、「みんなをもてなそう」「アドリブを入れよう」「インパクトを与えよう」なんて意識をはっきりと感じるのです。

「表現」ってのは、人前で読むことじゃないんですよね。でも、菅官房長官も読みました。それが、表現を生業にしている人間からすると、ムズムズするのです。

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「令和」の読み方はどうぞご自由に?

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この世界はあなたが思うよりはるかに広い

本連載をまとめた「ドン・キホーテのピアス」第17巻。鴻上による、この国のゆるやかな、でも確実な変化の記録





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