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月収12万円の貧困生活に耐えきれず、闇金で働きだした元役者。貯金は増えたが…

 昭和、平成、そして令和と移り行く時代の中で、夢を抱いて上京してくる若者は後を絶たない。だが夢の実現を優先するあまり、多くの人間が貧困に陥っているのが実情だ。
貧困

林さん

 今回は、俳優を志し上京。しかし、待ち受けていた貧困生活から這い上がろうとして弄した策が裏目に…人生のどん底を味わったという元俳優・林卓也さん(仮名・43歳)に話を聞いた。

17歳で親から勘当…俳優の道へ進む

 林さんは北陸地方の出身。17歳の時に、教師からいじめを受けたことが原因で教師を殴打して退学になった。これがきっかけで、親から勘当されたという。 「元々俳優に憧れていたので、勘当された後は上京してバイトをしながら、俳優養成所に通いました。18歳と偽ってサパークラブやスナックでバイトを掛け持ちして、ワンルームで家賃7~8万円のアパートに住んでいました。見栄を張っていましたね」
貧困イメージ

写真はイメージ(以下同じ)

 バイト代をかき集めても、当時の月収は12万ちょっと。家賃を払うとかつかつの生活。一日一食もざらだったという。 「養成所を卒業後、エキストラを経て、ちょこちょこと役がつき始めました。そして24歳の時に、遂に映画の準主役に抜擢されたんです」  映画の興行成績もまずまずで、林さんはさらに飛躍するはずだった。ところが、俳優としての収入はゼロだったというから驚きだ。 「事務所に入っていなかったので、請求書の書き方を知らなくて、ギャラを一度も請求をしたことがなかったんです(苦笑)」  一生懸命に演じても無収入の林さんに、ある映画のプロデューサーが手を差し伸べた。事務所を紹介してくれたのだ。 「小さな事務所でしたが、自分の代わりにギャラの交渉や請求をしてもらったので、とてもあり難かったです。次第に仕事が増えましたが、増えるとバイトを休むことになり、生活が苦しくなりました。バイト先のスナックのママから、お通しの残りをもらったりして飢えをしのぎましたね」

生活に困窮、副業に手を出したら待っていた地獄の日々

 俳優のギャラは撮影後半年から1年以上後に振り込まれるそうで、林さんは平日だけでなく、土日も飲食店のバイトで食いつなごうとした。だが「休みがないため、いつも眠くて」と体調不良を感じていたという。 「俳優仲間から、もっと家賃の安いところに住んだ方がと勧められましたが、引っ越し代もバカにならない。そんな時、バイト先のお客さんから割のいい金融業の仕事を紹介されたんです」  目先のカネに目が眩む。  俳優業と兼業することを条件に、紹介された金融会社に就職したという林さん。役者の仕事がない日は普通の勤め人と同じく、朝の9時から18時まで働いたと話す。 「役者の仕事が入ったときは休ませてくれましたが、その分の業務を土日に穴埋めしていました。その業務というのが消費者金融の勧誘と回収です。2週間で2割の利子がつく高額の貸付で…まあ闇金ですね。当時は対面回収で、回収するとインセンティブが入るしくみでした」 金融イメージ 林さんはそこで某マンガまがいの、カネを巡る人間の悲劇を目の当たりにする。 「小切手が落ちたら倒産して、首つり自殺をした経営者や、破産して家や財産を抵当に入れられて一家離散した家族など、カネで人生が狂ってしまった人たちの姿に唖然となりました。こんな仕事をしている自分はやばい…という恐怖感がじわじわと湧き出てきました」  退社も考えたが、上からの指示が絶対的で「まるで軍隊のようだった」と。パワハラが当たり前で、週に2~3回は宴会、酒が飲めない林さんにも、上司は一気飲みを強要したという。 「そんな生活をしていたからか、その時からオーディションに落ちることが増えてきて、次第に俳優業から遠ざかっていきました。会社の飲み会の後はいつも気持ちが悪くなって、深夜の3時まで眠れなくなるなど寝不足も続きました。そんなある日、過呼吸になって失神してしまったんです」  病院でパニック障害という診断が下された林さん。ところが処方された薬による副作用で生あくびが出たり、頭がぼーっとなって思考が停止状態になってしまったとか。 「当時処方された薬で覚えているのは、パキシルとメイラックスです。神経を遮断されたように、何も感じることができなくて。大好きなコミックも1ページも読めなくなりました。生きている気力もなくなって絶望のどん底に。俳優、そして4年間続けた金融の仕事からもフェードアウトすることになりました」
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どん底からの復活。天職と出会い…
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