秘伝のレシピを燃やして生まれた定番バーボンの秘密とこだわり
「メーカーズマーク」というお酒をご存じでしょうか? 四角い大ぶりのボトルに、赤い封蝋(ふうろう)が垂れている特徴的な外見なので、目を引きます。アメリカで作られているウイスキーで、「バーボン」に分類されます。今回は、メーカーズマークの歴史と蒸留所の中をご紹介しましょう。
バーボンはスコットランドから移住してきた移民が作り始めました。アメリカ合衆国は1776年に建国されましたが、同時に税金も徴収し始め、ウイスキーを作っている人たちは税の手が届かない南部に移動しました。これが、ケンタッキー州周辺にバーボンの作り手が集中している理由です。
スコッチ・アイリッシュ系移民である、ロバート・サミュエルズも1780年にペンシルベニアからケンタッキーに移住しました。農業をする傍ら、自家用のウイスキーを作っていたのです。
1840年、ロバートの孫である3代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズは、蒸溜所を作って本格的にバーボンウイスキーの製造を開始します。
1920年に禁酒法が施行され、そこから1933年まで操業を停止しなければならなくなりました。禁酒法が撤廃された後、5代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズ・シニアはバーボン作りを再開します。しかし、昔ながらの製法を守っているのに、あまり売れませんでした。
ちなみに、禁酒法が制定されてもアメリカ人がウイスキーを飲むのをやめるわけがありません。その間、お隣カナダでウイスキー作りが発展することになります。これが5大ウイスキーにカナダが入っている理由です。
1951年、6代目ビル・サミュエルズ・シニアが大きな改革を成し遂げます。ケンタッキー州ロレットの谷にあったスターヒルファームを、ボロボロの蒸留所と一緒に買い取ったのです。そのバークス・スプリングス蒸留所を修繕しつつ、なんとビルは170年間一家に受け継がれてきた秘伝のレシピを燃やしてしまいます。
世界最高のプレミアムバーボンを生み出すために、一からウイスキー作りに着手したのです。ライ麦の代わりに冬小麦を使い、試行錯誤を繰り返します。蒸留所の敷地内にあるスプリング・フェド湖から取れる良質な湧き水を使い、試行錯誤を繰り返します。
秘伝のレシピを燃やしたのは6代目当主
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お酒を毎晩飲むため、20年前にIT・ビジネスライターとしてデビュー。酒好きが高じて、2011年に原価BARをオープン。2021年3月には、原価BAR三田本店をオープンした。新型コロナウイルス影響を補填すべく、原価BARオンライン「リカーライブラリー」をスタート。YouTubeチャンネルも開設し生き残りに挑んでいる
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