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変化を嫌ってきた日本人にコロナ禍が教えてくれたこと/鴻上尚史

正解のない時代に突入、コロナ禍に起きた、前向きな“変化”とは

ドン・キホーテのピアス同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(講談社現代新書)は、おかげさまで、発売一週間で三刷りが決まりました。  ありがたいことですが、背景を思うと、単純に喜べないと感じます。  コロナに感染するより、「あいつ、コロナに感染したんだぞ」と「世間」から後ろ指を指されることの方が怖い、という状況になっていると感じます。 「世間」という日本独特のシステムが狂暴化して、自粛警察などの「同調圧力」が強まっているというニュースを毎日、聞きます。  ただね、コロナによって悪いことばかりかと言うと、ひとつ、僕は前向きなことがあると思っています。  それは、私達日本国民が、自分達の頭で必死に考えるようになったんじゃないかと思っているのです。  僕は、自分に関係のある仲間や集団を「世間」と呼んでいます。「世間」の反対語は、自分と関係のない人達でできた「社会」ですね。 「世間」に生きている日本人は、一般的に変化を嫌い、大きなものに頼ります。それを「所与性」と呼ぶと、僕は何度か原稿に書いています。  とりあえず、「大きなもの」に頼っていればいいんだという感覚です。

この人は自分の味方なのか敵なのか

「自我」というより「集団我」です。  仲間とか集団の決定を自分のアイデンティティーにするという傾向です。  その結果、自分の「世間」に属する人は味方で、それ以外「社会」の人は敵、という明確な分類をする人が多くなります。  相手が何を言っているのかではなく、この人は自分の「世間」なのか「社会」なのか、つまり味方なのか敵なのかを決めてから対応するようになるということです。 「世間」つまり身内なら、少々おかしなことを言っていても「間違うこともあるよ、人間だもの」と許し、論理的に正しいことを言っていても「社会」つまり敵だと思ったら「人間は理屈だけで動くんじゃないんだよ。情だよ情」と反発する、ということです。  相手の発言内容ではなく、味方か敵かが一番大事なことなのです。  これは自分が考えているのではなく、自分の属している「世間」に判断を任せているということです。
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何が正しいと思うか、自分の頭で考えること
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