更新日:2022年01月26日 21:42
スポーツ

新庄ビッグボスはどんな野球をするのか。多彩な“上司遍歴”からその野球観を探る

野村氏とは正反対の野球。バレンタイン野球に触れる

 新庄氏がメッツに入団したときの監督はボビー・バレンタインだ。そう、千葉ロッテを日本一にした名将である。1995年に一度ロッテの監督としていきなり2位という結果を出しながら、1年で退団した翌年の1996年に3Aの監督をしていたが、シーズン途中からメッツの監督に昇格し、2002年まで指揮をとっている最中での加入だった。  前年の2000年にはワールドシリーズに出場するなどチーム状況はよいとされた中での加入だったが、バレンタインの野球らしく出場した打順は様々。  日本人初のメジャー4番が新庄であるのは有名だが、1番や7番など、固定化されていなかったのはロッテでのバレンタイン監督の采配イメージと一緒である。また、センターのイメージがある新庄氏が、この2001年だけはレフトで46試合、センターで53試合、ライトで39試合と守備位置も固定化されていなかった。後にも先にも、新庄氏がセンター以外を数多く守ったのはこの年だけである。  この経験は大きかったかもしれない。後に日本ハム入団後、あの外野陣を統率する新庄氏がセンター以外も経験したことで、両翼についてのアドバイスもできるようになったのかもしれない。  その他にも、敗戦処理には若手を使わない主義など、ボビーマジックと言われた采配を1年間経験した新庄氏。バレンタインといえば楽天監督時代の野村氏と因縁があった時期もあったくらいに監督としてのスタイルが違うのだが、両方の監督に仕えたことのある新庄氏の経験は実はかなり貴重なものなのかもしれない。

ダスティ・ベイカーのもとでワールドシリーズ出場

 しかし翌年、トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ入団し、監督はダスティ・ベイカー氏に変わる。ベイカー監督は新庄を1番打者として期待したが、結局は下位打線での起用から、怪我ののちは控えに回ることが増えてしまった。ただ、守備力は評価されていたようだ。そしてなにより、ワールドシリーズに出場できた経験は大きい。  ベイカー氏は現在でもヒューストン・アストロズで監督を努めており、昨年もワールドシリーズに出場した名将だが、悲願のワールドシリーズ制覇はまだ。そんなシビアなメジャーの最高峰を、当時の新庄氏は経験できたことだろう。  だが、ジャイアンツは新庄と契約せず、2003年はメッツに戻ることに。しかし監督はバレンタインではなく、アート・ハウ氏に変わっていた。チームは若返り方針の色が強く、62試合の出場で打率は2割を切った.193となってしまった。ハウ監督との関係は良好ではなかったという話題もあるが、逆に3Aで好成績を残しつつ、マイナー生活を体験し、新庄氏にとっての経験はより広くなった1年だったかもしれない。
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日本球界復帰とヒルマン監督
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公営競技ライター・Youtuber。近鉄ファンとして全国の遠征観戦費用を稼ぐため、全ての公営競技から勝負レースを絞り込むギャンブラーになる。近鉄球団消滅後、シグナルRightの名前で2010年、全公営競技を解説する生主として話題となり、現在もツイキャスやYoutubeなどで配信活動を継続中。競輪情報サイト「競輪展開予想シート」運営。また、ギャンブラーの視点でプロ野球を数で分析するのが趣味。
Twitter:@signalright

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