渡辺浩弐の日々是コージ中
第524回
8月17日「死なないエネルギー、生きるエネルギー」
・昭和の時代は子供が死にまくっていた。無理を承知の高度成長の裏にいろいろな危険があった。交通戦争、公害、凶悪犯罪。急ごしらえの新興住宅地は自然災害の備えも不十分だった。僕が小学校の頃、交通事故や水難事故で死んだ同級生が何人もいた。
・店頭には有害添加物まみれの食品が並んでいた。川には破傷風菌が繁殖し、町中を狂犬病の野犬が徘徊していた。致死的な伝染病も多くあった。最近麻疹(はしか)の再発で大騒ぎがあったけど、当時「一度うつされておく」というのが普通だった。はしかで寝込んでいる子供のいるうちにわざわざ子供を連れて集まったりした。昔のはしかが弱かったわけではない。それで結構死んでいた。僕の友達も一人死んだ。記録を見ても50年代までは年に数千人死んでいるのだ。
・今の価値観から見るとひどい環境だったし、子供手当なんてものもなかったが、若い夫婦は貧乏でもどんどん子を作り、そして子供たちは全身に赤チンを塗りながら元気に笑いながら駆け回っていた。だから人口はものすごい勢いで増えていた。
・保育園や乳児院だって足りないなんてものじゃなく、地方都市にはほとんど存在しなかった。ネグレクトされる子供もいたし、今と違って表沙汰にならない虐待死もあったと思う。けれど5、6人兄弟の大家族もごく普通にあった。そういう家庭に遊びに行くと何もいわずにごはんを食べさせてくれたりした。
・そういう家の仏壇に、お年寄りの写真と並んで子供の写真が掛けてあるのを見かけることがよくあった。亡くなった兄弟の写真だ。
・今、「死なない」ことが一番大切なこととされているが、もっと大事なのは「生きる」ことなのかもしれない。そのエネルギーはどうしたら得られるのか。あの頃のことを思い出すことで答えが得られるだろうか。