第271回

7月24日「淡々」

・『びんちょうタン しあわせ暦』(PS2/マーベラスインタラクティブ)のサンプルをプレイ。アルケミスト社ホームページのマスコットとしてデビューし、その後ガチャポンのフィギュアとしてヒットしたキャラクター(その頃この欄でも紹介したことがある)。その後、順調にコミック化、アニメ化を果たし、遂にゲームも出るというわけである。

・びんちょうタンは、山奥の小屋にひとりぼっちで暮らす少女だ。その設定こそが魅力のコンテンツである。空間とキャラクターで癒されるのだ。

・ゲームも、その特性を軸に企画されている。ひっそりと暮らすびんちょうタンの様子を、じーっと鑑賞し続ける。ごくたまに、アイコンを使って最小限の干渉を行なう。木の実を落としてあげたりとか、雨を降らせてみたりとか。そこには極めて枯れた味わいがある。劇的な事件なんて何も起こらないところが良いのだ。

7月25日「ゲーム2.0」

・ニワンゴの杉本社長、担当編集者の橋爪さん他と打ち合わせ。ニワンゴはmixiモバイル等と並んで本年度の『モバイルプロジェクト・アワード』を受賞したそうだ。おめでとうございます。

・僕がこの双方向型配信システムに可能性を感じているのは、そこに「ゲームにおけるWeb2.0」の概念が見えるからである。手元のゲーム機を立ち上げ、ソフトを入れて遊ぶ、というのがこれまでのゲームライフのイメージだった。この形である以上、環境としてはまず「家庭用ゲーム機」を、つまり大量生産に至ったハードを買ってくるしかない。ゲーム業界の構図が、ハードを発売できる立場と体力を持ったシステムホルダー数社を中心としたシェア戦争としてしか定義されないのも、そのせいである。

・ここで発想を変えてみる。手の中のコントローラーだけをそのままにしておいて、そこから出ているコードは、電話回線や電波に置き換えてみる。つまり、ゲーム機やソフトは、ネットワークの向こう側に置く、というわけだ。

・こうすれば、例えば自宅に置けないようなスーパーコンピュータを使ってゲームをすることもできる。ハード、ソフトを絶えず一新しながら遊ぶこともできる。回線の速度による制限を受けないようなゲームならば、ここで劇的な進化があり得る。

・Xbox360もPS3も、ファミコンから始まったいわば「ゲーム1.0」の進化樹上にあるものである。オンラインゲームも、そこから逸脱するものではない。ところが、多くの人々が「ケータイ」に慣れ親しんだせいで、今ここに大きな可能性が生まれた。手の中にあるそのツールは、ゲーム2.0にとっての「コントローラー」に成り得る。ゲームは今やっと第2期に進攻しはじめるのである。

ニワンゴ3

7月26日「まだ生きてる子供達を救え」

・「いくらなんだって、まさか実の親が実の子を殺すわけない」その思いこみはこの国の根にある問題なのだと思う。捜査の怠慢でした、ってことで、個人を処罰しておしまいにするべきじゃない。

・僕の頭には大きな傷痕が残っている。自転車の後部座席に乗っていた。その時の様子を今でも非常にリアルに覚えている。当時3歳で、揺れる座席に必死にしがみついていたこと。前で運転していた女性が、漕ぎながら、ふいにすごい顔で振り向いたこと。彼女が片手を振り上げ、振り下ろしたこと。そこから世界が回転し、頭から道路に突っ込んでいったその瞬間も、スローモーションの映像として残っている。そして他の人が通りかかるまで砂利道に転がって血を流し続けていた長い長い時間。

・理由は今でもわからない。何かにいらだっていて、その衝動を手近な弱者にぶつけたかったのだろう。ある種の人間は、そういうことをしてしまう、ものなのだ。重要なのはその後のことだ。僕の言うことを信じる大人は、一人も、いなかった。

・親は、子供に、意味のない暴力をふるったりはしないものである。親は、子供を、殺したりはしないものである。そういう洗脳が、この社会にある。そのために、今もきっと多くの子供達が酷い目に遭っている。厳しさは、愛情の裏返しだよ、きっと、いつかわかる日がくるよ。運良く幸福に生まれ育った人々(例えば教師になるような人々)は、よく、そんなふうに言うものである。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。