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「日本のために働く人間に子供たちを育てる」ミャンマーには帰れないロヒンギャの難民たちのリアル

 ’15年は6530万人もの難民が命の危険を訴え、世界をさまよった。日本でも7586人が難民申請をしたものの、日本政府が難民として認定したのはたったの27人。「難民に対して門戸が狭い」と海外から批判を受けても仕方がないだろう。  そんな日本にも一所懸命に日本文化を受容し、日本社会に溶け込もうとする難民たちがいる。毎年夏の殺人的な熱波で知られる群馬県館林市には、ミャンマーを逃れた「ロヒンギャ」の人々が260人程度集住している。同市で毎年秋に催される「国際交流まつり」に彼らも出展すると聞き、記者は現地に向かった。  ’92年に来日したアウンティンさん(49歳)は、現在は日本への帰化が認められ、在日ビルマロヒンギャ協会の副会長を務めている。この日は奇しくも、ロヒンギャが神に祈りを捧げるモスクと学校が燃やされたというニュースがミャンマーから届いたばかりであり、彼の口調は憤りを含んでいた。
アウンティンさん

ロヒンギャの国での苦難を訴えるアウンティンさん

「ミャンマーの軍人は、定年を迎えると土地をもらえますが、それはロヒンギャから奪って元軍人に与えているんです。お店もそうです。いい商売をやっていると目をつけられて、『今後は政府のものにするから出ていきなさい、さもないと殺す』と脅されます」
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’62年にネ・ウィン将軍が政権を握ると一気に暗転
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