ミュージシャン・岡崎体育「『MUSIC VIDEO』の反響がここまであるとは予想してなくて(笑)」
BASIN TECHNO』でメジャーデビューを果たした。
だが、それ以前に彼の名前を世に広めたのは、YouTubeに上げた作品群だ。特に「MUSIC VIDEO」という作品は、地上波の情報バラエティ番組などで取り上げられるほど話題になり、これを書いている5月16日現在では、なんと再生回数240万回を突破している。
「カメラ目線で歩きながら歌う 急に横からメンバーでてくる 突然カメラを手で隠して 次のカットで場所移動してる」「仲良い人とかお世話になってる人を別撮りで歌わせる」などなど、“MUSIC VIDEOあるある”をまず歌詞と映像で表現したこの作品は、確かにおそろしくおもしろいし、そのおもしろさを生むためにとんでもない手間とアイディアと熱量がこめられていることが観ればわかる。
だが彼は、そういった「J-POPをメタ視点でネタにする」というアイディアがおもしろいだけでなく、まともにいいメロディが書ける、いいトラックを作れるという意味でも、とても優れたミュージシャンと言えるだろう。
SEKAI NO OWARIのFUKASEや、ゲスの極み乙女。の川谷絵音、前山田健一(ヒャダイン)や、星野 源などなどの錚々たるアーティストたちが絶賛する岡崎体育とは何者なのか? 京都在住、かつバイトが忙しいそうでプロモーション活動の機会が極めて限られるというこの男を、直撃した!
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――最初はバンドをやっておられたんですよね。
岡崎体育:はい、学生時代にバンドを組んでましたね。
――その時すでに、今のような音楽性だったんですか?
岡崎体育:違う感じでした。パソコンを使って、打ち込みの音とパンク・ロックの音を合わせた、ミクスチャーみたいな音楽をやってました。曲調も、あんまりJ-POPっぽくなくて……2000年代の前半とか中盤ぐらいにUKで流行ってた、ニューレイヴというジャンルがあって。エンター・シカリとかブロック・パーティーとかを聴いてまして、近いサウンドを出したいと思ってやってましたね。
そのバンド、僕はベースで、一応リーダーで、作詞作曲も全部やってたんですけど。まずパソコンで曲を作って、メンバーに聴かせて「こういう感じで演奏して」って練習して曲にしてた、っていう感じです。
――解散したあと、バンドじゃなくてひとりになったのは?
岡崎体育:そのバンドを組んだのが2009年の終わり頃でして……大学2回生の時で、3回生になった時にメンバーが渡米したり名古屋に移住したりして、ドラムの子と僕ふたりになって、ユニットを組んだんですけど、それもほどなくして解散して。就職活動を普通にしまして、一般企業に就職したんですけど、半年ぐらいでやめて、岡崎体育を始めましたね。2012年の秋ぐらいから。
――そこでバンドやユニットじゃなくて、ひとりで始めたのは?
岡崎体育:バンドを組んでる時から、いかんせん協調性がなくて。練習とかでもケンカが絶えへん感じやったんで、「人となんかやるのむいてへんな」と思って。
――で、ひとりになってからは、最初から今のような音楽性で?
岡崎体育:そうですね。目立つことをしないと、音楽では食っていけないな、と最初から思っていたので。自分が本当にやりたいまじめな曲とは別で、プロモーションとしてネタっぽい要素を入れたりだとか、初期からしていましたね。
最近、「岡崎体育」という名前をどこかで耳にしたことはないだろうか。京都府宇治市在住の26歳。「盆地テクノ(BASIN TECHNO)」というジャンル名を掲げ、2012年にソロアーティスト「岡崎体育」として、奈良のライブハウスを拠点に活動開始した彼は、スーパーでアルバイトをしながら自室のPCとシンセで曲を作り続け4年後の今年5月、8曲入りアルバム『
『BASIN TECHNO』 京都出身、関西をベースに活動するソロ男性アーティスト「岡崎体育」のメジャーデビューアルバム |
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