「麻原もオウムも憎んでいない」松本サリン事件、冤罪被害者・河野義行の意外な声【大量殺人事件の系譜】
「病院に運ばれた当初は、まったくの無表情でした。でも意識は戻らなくても、次第に変化が現れ、表情が豊かになってきたんです。それが嬉しく、私の生きる希望となりました。とても厳しい病状ではありますが、命が続く限り生きていてほしいんです」
事件から10年後、まだ意識が戻らない澄子さんのベッド脇で、河野さんにこう聞いたことがあった。当時、脳の萎縮が進んでいたという。その後、2008年8月、事件以来14年間、一度も意識が回復しないまま、澄子さんは帰らぬ人となった。60歳だった。その葬儀直前にも河野さんにお会いし、こんな話をしてくれた。
「澄子は、チューブ1本で14年間を生き抜いてきました。それは大変なことです。意識がなくても、生きていてくれるだけで私には大きな意味がありました。支えられました。話すことはできませんでしたが、心と心で会話をしていたようなものです」
事件を首謀した麻原彰晃死刑囚は、非合法な手法によって日本の支配を画策し、ほかにも日本の犯罪史上稀有な一連のオウム事件を引き起こした。麻原は1995年5月に逮捕され、2006年に死刑が確定した。確定判決は麻原について「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定した。
オウムに対して河野さんは強い思いがあるだろうと聞いてみたことがある。返ってきたのは、意外な答えだった。
「麻原死刑囚が本当に事件を起こしたかどうか、それは本人が知っていることで、どういう司法の判断が下されようと、私の中ではそこを越えてしまって現実感がありません。事件当時も現在も、麻原死刑囚もオウムも憎んでいません。憎む気持ちよりも、澄子が長く生きていてくれて感謝する感情の方が、とても強いんです」
多くの事件被害者を取材してきたが、初めて聞く言葉だった。
<取材・文/青柳雄介>
1
2
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ