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2月7日は北方領土の日「約10万人の市民を殺害したソ連の戦争犯罪」

江崎道朗のネットブリーフィング 第30回】
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日本降伏後、千島・南樺太を攻撃したソ連


 2月7日は、北方領土の日だ。

 北方領土とは、日本の北東端に位置する北海道の、歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)のことだ。

 この北方領土は日本固有の領土なのだが、いまから73年前の第二次世界大戦末期に、ソ連(現在はロシア)が一方的に占拠してしまったのだ。その不法占拠は、ソ連が崩壊してロシアとなった後も続いている。

 北方領土の総面積は5003平方キロメートルで、千葉県や福岡県とほぼ同じ広さだ。しかもこの周辺海域は、カニなどが採れる豊かな漁場で、その経済的損失だけでもはかり知れない。

 わが国は、ソ連による不法占拠に抗議し、北方領土返還運動を繰り広げてきた。毎年2月7日には、総理大臣出席のもと北方領土返還要求全国大会を開催している。だが、世の中の関心は必ずしも高くない。

 なにしろ歴史教科書でも、ソ連による日本「侵略」とその後の北方領土、千島列島、南樺太に対する不法占拠という歴史的事実はろくに教えられていないからだ。

 そもそも、どうやってソ連は北方領土を不法占拠したのか。

 ソ連は1945年(昭和20年)8月9日、お互いに戦争を仕掛けないことを約束した日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本領であった南樺太に対して攻撃を開始した。ソ連軍による攻撃は、日本政府が「ポツダム宣言」受諾を公表した8月15日以降も続いた。

 一般市民をも対象にした無差別攻撃を繰り返すソ連軍に対して日本軍も果敢に応戦し、8月22日にようやくソ連との間で停戦協定が結ばれた。だが、その後もソ連軍は侵攻を続け、8月25日までにソ連軍によって南樺太全土が占領された。

稚内公園に建つ氷雪の門

稚内公園に建つ氷雪の門 撮影/江崎道朗

 その間に約10万人の一般市民がソ連軍の無差別攻撃の犠牲になったと言われている。なかでも南樺太・真岡市で9人の電話交換手が南樺太在住の邦人避難のため通信業務に従事し、最終的に自決した事件は、村山三男監督の映画『樺太 1945年 夏 氷雪の門』でも取り上げられたことから、よく知られるようになった。

 ソ連軍の暴虐ぶりについては、南樺太の豊原市にいた当時小学校五年生の小林恒夫さんもこう証言している。

《8月22日午後3時頃、白と赤の旗が掲げられている豊原市に敵機が3機襲来、駅前で帰還を待つ大勢の人々の中に爆弾を投下し、更に機銃掃射を加え数百人の死傷者が出た。この瞬間と現場を私も目撃していたがまさに地獄の有様だった。終戦日から1週間が経ち、しかもソ連との終戦調印(8月22日正午)も終わってから、こんなことは許せない。これが第二次大戦最後の空襲であろう。この他にも島内四か所で停戦交渉の軍使が全員射殺されるなど信じられないソ連共産主義の非道ぶりを象徴する事件が起きている。》(『国家なくして平和なし―「樺太」「満洲」故郷はるか』明成社)

 こうしたソ連の非道によって殺された方々を悼んで建てられたのが、稚内市の稚内公園に建つ「氷雪の門」だ。

 一方、ソ連軍が千島列島の占守島に攻撃を開始したのは、日本が降伏を宣言した3日後の8月18日であった。占守島でも日本軍は果敢に抵抗し、一時はソ連軍を撃退したが、改めて戦闘停止命令を受け、結果的に千島列島、そして北方領土も占領されてしまった。

 しかも南樺太、千島列島にいた日本軍将兵たちはその後、中国大陸にいた日本軍将兵とともに厳寒のシベリアなどへ強制的に連行され、苦役を強いられた。シベリアなどに強制連行された日本軍将兵の総数は諸説あるが、厚生労働省によれば約57万5千人で、そのうち約5万5千人が死亡したと言われている。
 
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ソ連の戦争犯罪を宣伝する戦略的外交を

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