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スタン・ハンセン 伝家の宝刀ウエスタン・ラリアット――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第49話>

 それは試合開始から6分後に起きたアクシデントだった。ハンセンの放ったボディースラムが汗ですべり、サンマルチノは頭からキャンバスに落下した。  サンマルチノはそのまま試合をつづけたが、翌日、病院で首の骨折が判明した。ハンセンがウエスタン・ラリアットでサンマルチノの首をへし折ったという“おとぎばなし”が生まれた。  それから2カ月後、サンマルチノ対ハンセンの“完全決着戦”がニューヨークのシェイ・スタジアムでおこなわれた(1976年6月25日)。  この試合は、東京からの衛星生中継=クローズド・サーキット映像でスタジアムの巨大スクリーンに映し出されるモハメド・アリ対猪木の“格闘技世界一決定戦”とのダブル・フィーチャーとしてライブ版のメインイベントにラインナップされた。  プロモーターのビンス・マクマホン・シニアにとってアリ―猪木戦はとてつもなく大きなギャンブルであり、負傷欠場中のサンマルチノの見切り発車的なカムバック戦はスタジアム・サイズの観客動員数を確保するための“保険”になっていた。  シェイ・スタジアムに3万2000人の大観衆を動員したのはプロボクサー対プロレスラーの異種格闘技戦ではなくて、どうやらサンマルチノの復帰ドラマだった。  ハンセンは、このイベントから半年後に“サンマルチノの首をへし折った男”として新日本プロレスのリングに初登場した(1977年=昭和52年1月、『新春黄金シリーズ』)。  猪木とハンセンのシングルマッチは新日本プロレスの定番カードとなり、ハンセンは猪木を下してNWFヘビー級王座を奪取(1980年=昭和55年2月8日、東京体育館)。  ハンセン対アンドレ・ザ・ジャイアントのシングルマッチは、日本のプロレス史に残る名勝負となった(1981年=昭和56年9月23日、東京・田園コロシアム)。  1981年12月、ハンセンは5年間にわたり活躍した新日本プロレスのリングを離れ、全日本プロレスに電撃移籍を果たした。  新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・マードック、タイガー戸口らを全日本プロレスから引き抜き、全日本プロレスがタイガー・ジェット・シンと上田馬之助、チャボ・ゲレロらを新日本プロレスから引き抜いた。  ハンセンは“最後の大物”として全日本の『世界最強タッグ』最終戦に私服で乱入し、テリー・ファンクをラリアットでKOしてブロディ&ジミー・スヌーカのリーグ戦優勝をアシストした(1981年12月13日=東京・蔵前国技館)。衝撃的なシーンだった。  ハンセンはそれから約20年間、全日本プロレスのリングで日本のプロレス史のさまざまな事件をリアリタイムで目撃し、当事者として体験した。  長州力をリーダーとするジャパン・プロレスが全日本プロレスに合流し、それから2年後にまた古巣・新日本プロレスにUターンしていった。  『全日本プロレス中継』の放送時間がゴールデンタイムに昇格し、また深夜ワクに追いやられた。  せっかくタッグチームを再結成したブロディが新日本プロレスに移籍(1985年=昭和60年)して、それから2年後にまた全日本プロレスに戻ってきた。  インターナショナル王座、PWFヘビー級王座、UNヘビー級王座が統一され三冠ヘビー級王座が誕生した。  天龍ら10数選手が全日本プロレスを退団し、新団体SWSに移籍した(1990年=平成2年)。  1990年代の全日本プロレスは“日本組”と“ガイジン組”がバランスよくレイアウトされたスポーツライクな空間になった。  “日本組”の監督はもちろん馬場で、“ガイジン組”の監督はハンセン。ハンセン、テリー・ゴーディ、スティーブ・ウィリアムス、ジョニー・エース、ゲーリー・オブライト、ジョニー・スミス、ジャイアント・キマラ、ダグ・ファーナス&ダニー・クロファットといったレギュラー・メンバーが1年に8回ずつアメリカと日本を往復した。  1月は『新春ジャイアント・シリーズ』で、2月は『エキサイト・シリーズ』。春の本場所は『チャンピオン・カーニバル』で5月は『スーパーパワー・シリーズ』。  夏は『サマーアクション・シリーズ』PARTⅠ&Ⅱで、秋は『ジャイアント・シリーズ』。11月後半から12月上旬までの3週間の『世界最強タッグ』が1年の締めくくりとなる。  ハンセンは日本の四季、シリーズ興行の季節感を楽しみ、ゴーディやウィリアムスやエースらに「ホテルから出ろ。街を歩け」とアドバイスし、「居酒屋とラーメン屋で食事ができるようになれ。メニューをおぼえろ」と指導した。
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ハンセンが大切にしたウエスタン・ラリアットという技
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