ウーマン村本「今の芸人は、先輩の芸をなぞっただけの“量産型コピーロボット”」
「個」として生きる村本は、ただ芸人を全うしようとしているのだろう。多くの芸人がテレビに擦り寄るような風潮に、異を唱える。
「テレビに出るのはたまたま声が掛かったからで、出れなくても、舞台で漫才を生産し続けられればそれでいい。舞台と同じことをテレビが求めていないなら、頭を下げてまでテレビに出たいとは思わない。僕の“本籍地”は、舞台のマイク前。ネタという自分の作品に軸足を置いて、発信する場所を決めておいたほうが健全ですよ。ウンコする場所が何か所もあってもしょうがないでしょ(笑)」
日本の芸人は、テレビばかりか、権威にも擦り寄る……。『THE MANZAI』の政治ネタも、いち早く咎めたのは芸人だった。
「『お前は政治家か』『あれは笑いじゃない』とか、散々言われました。でも、審査員が褒めてくれたら、一転して『よかった』と褒められた……。大御所や大先輩が認めた瞬間に、評価が変わるのが日本の笑いなんですよ。日本では、無名の芸人は見下されて、売れた瞬間に手のひらを返される……。でも、アメリカのスタンダップ・コメディでは、舞台に立った瞬間、誰もが尊敬される」
日本の笑いには、権力や権威を嗤う「風刺」が乏しい。中世の欧州では、王侯貴族が「宮廷道化師」を召し抱え、楽しませるだけでなく、時には主人を辛辣に批判した。一方、批判された貴族も、風刺を通して自らが庶民にどう見られているかを知ろうとしたのだ。欧米には、今もこうした文化が息づいている。
「笑いというケーキに、社会問題を混ぜて食べさせないと、客は口に運んでくれない。それをできるのが、漫才の凄さなんです」
笑いの可能性を信じる村本は、アメリカ進出を目論んでいる。タブーなしのしゃべくり漫才がどう評価されるのか、興味津々だ。
※週刊SPA!上杉隆連載「革命前夜のトリスタたち」より
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