派遣社員ブームに乗せられた40代の苦境「時給2500円だったのが1100円に…」
「昔は『ハケンの品格』なんてドラマもありましたよね。ほんの一瞬ですが、ハケンっていいかもって思えた時期もあったんですよ」
「もともと印刷屋でデザイナーをやっていたんですが、2001年にアメリカで起きた『911テロ』以降の不景気で、給料も手取り20万いくかというヒドい状況で仕事をしていました。そしたら、2005年頃に会社がついに倒産。社長が面倒見のいい昔気質のおじさんだったから『全員の就職の世話をする!』と言ってくれて。でもまあ、結局いい働き口などなく、紹介されるがままに派遣会社に登録したんです。
パソコンが使えるなら経験不要——ということで、最初に派遣されたのが大手通信系企業の子会社でした。SEの知識はゼロでしたが、文字通り社員さんが一から教えてくれて、時給は2500円。毎日残業が必ず2時間ほどあるので、月に40万円近くもらえることもあったんです。それで、これはすごい! と思った」(文倉さん)
デザイナー時代は手取り十数万、ボーナスなしで残業の雨嵐という会社で働いていた文倉さんにとって、派遣社員はまさに天国だった。
時は2007年。テレビではちょうど『ハケンの品格』(日本テレビ)なるドラマの放送も始まっていた。派遣社員の敏腕女性が、日本社会の古い慣習に捉われることなく、プロフェッショナルとして仕事をバリバリこなし、内外で認められていく……。
派遣法の改正もあり、派遣社員の数は急増。政府が「自由な働き方ができる」などと説明すれば、「派遣で働く」という選択肢は、これまでにない全く新しい働き方かもしれない、こう思った人も少なくなかったのである。もちろん当時、野党からは「派遣などといって、経営者側に都合のよい奴隷契約」などという指摘もあった。一部マスコミも派遣法改正について否定的な報道をしたが、実際に派遣として働いていた人々にとっては「給料もそこそこもらえるし……」という感覚があったのだ。
日曜日の昼下がり、人気のないオフィス街の公園にいたのは大手企業に派遣され、SEとして働く文倉さん(仮名・40代)だ。夜勤明けの重たい瞼をこすりつつ、“ストロング酎ハイ”をチビチビ飲みながら「ハケンが輝いていた」という時代を懐かしむ。
今、“派遣社員”と聞けば、「将来性がない」「給料が安い」などとネガティブなイメージをもつ人が多いかもしれない。だが、10年以上前、たしかに世間が彼らのような派遣社員を後押しした時代もあった。当時、派遣社員だった人たちは、「ハケンっていいかも」「別にハケンのままでもいいんだ」と自分に言い聞かせることができたのだ。そんな人たちの現在は……。
手取り20万以下から40万近くへ
新聞、週刊誌、実話誌、テレビなどで経験を積んだ記者。社会問題やニュースの裏側などをネットメディアに寄稿する。
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